はがき提出分  放送を聞いての感想   放送大学 Top   home

一月十日(土)  あれから二十年、阪神淡路大震災 今朝の放送を聞いての直接の感想というわけではありませんが・・・
 御嶽山の大噴火、広島の土砂災害、丹波の豪雨災害・・・自然の脅威は一瞬にして人々の命や生活そのものを奪い去ってしまう。ましてや、阪神淡路大震災や東北の大震災などは、その規模において未曾有の被害をもたらした。詳細には色々な対策も未然にあったろうが、しかし、大きな被害は避けられなかったと思う。その現場に遭遇しなかった我々は幸運だったとしか言いようがない。   今盛んに防災・減災が叫ばれている、被害を少なくする対策、未然防止への研究や調査・対策が進められてはいる。また、人々の意識の改革なども当然必要なことだ。しかし、私個人や家族、またこの地域がこのような大災害に遭遇しないことを祈るよりほかしようがないように思う。後ろ向きの考えのようだが、大災害がこれからも日本列島を襲うことは確実であり、それがどの地域にどの程度の規模で発生するのかまったく予想ができない。被害を最小限度に食い止められることを祈るばかりである。


12月27日(土) 故貝原俊民前知事(11月放送分)
 非常に奥の深い、現代人が十分考えなければならない問題を理路整然と話をされた。大自然は我々人類に対して、そのやさしい包容力と一方厳しさを持っているという言葉が印象に残っている。リスボンの大震災に始まった近代化、日本でも関東大震災と近代都市造り、このため、私たちの快適で明るい生活は大変に進歩してきた。それを神戸淡路大震災と、東日本大震災と、また人間が作った原発が災害源になるという事故で;近代都市づくりが根本的に見直される事態となっている。これからは、便利な快適な生活を求めながら、自然の厳しさと共存を考慮した国づくりが必要とされている。今のような経済経済ばかりではまたしっぺ返しがくるのではないかと思う。梅原猛や寺田寅彦の指摘の通り、もっと人間の心の問題や精神の向上といった内面の成長を第一に考えることが本当の国造りではないかと思う。


十二月六日(土)  神戸新聞の一○○日  元・神戸新聞社論説委員長  森 本 章 夫
 本日の放送を聴きながら、阪神・淡路大震災の発生の直後の事が、沸々とうかんで来るのを覚えました。当日の朝に起こった震度七の激震は都市そのものを破壊し尽くす凄まじいものでした。尊い命も六千名以上も奪いました。神戸新聞社も当然社屋が傾き、機材は破損し、膨大な資料の散乱、通信の遮断、新聞社ビルは無数の亀裂が入り瓦礫の山と化すという凄まじいものだったようです。そんな中で、京都新聞の協力を得ながら当日も少しでも情報を届けようと新聞を発行した社員たちに頭が下がります。よくもまあ生き残っていた一本の電話から発行にこぎつけられたものだと思います。新聞製作システムを十日間で仕上げたり、被災地をかけずり回り、破れば血の出るような新聞を作ろうと誓いあった新聞作り。「神戸新聞の一○○」はこれぞ記者魂、職業魂、新聞社魂と言うものでしょうか。
 今日は私も「新聞の原点を思い知る」日々(時間)でした。それにしても、被災者や読者の声が後押ししている事も大きかったと知りました。


十一月二十二日(土)  ウイスキーは日本の酒である      サントリー 名誉チーフブレンダー 輿 水 精 一
 平素全くウイスキーをたしなまない私ですが、これからはちょっと飲んでみようかなあという気持ちになります。今朝の講師は特別な強調もなく飾り気もなく、ただ淡々と話されている姿勢に、ウイスキーに込める想いが強く伝わって来たように思います。
 日本のウイスキーが世界的な評価を得るまでの苦労と努力が忍ばれますが、それにもまして日本という国の自然環境(気候・名水・ミズナラの木等)の素晴らしさ、また、日本人の感性を活かしたブレンド技術(和食のだしブレンド等)、まさに職人技のなせる成果だという事がよく分かりました。また、日本の食文化にも合った飲み方の発見も素晴らしいものだと思いました。現在のウイスキーがまさに「日本の酒である」という自負と誇りが伝わってきます。日本の酒であるウイスキーが今後ますます世界に発展していく事を願うとともに、我々ももっとウイスキーに関心を持つ事が大切なように思う。私の頭の中には、ビールと日本酒の意識は絶えずあるが、ウイスキーとなると不思議に頭から消えている。
 朝ドラの「マッサン」がより楽しくなって来た。


十一月八日(土)  言葉は魔物・宝物 フリーアナウンサー  羽 川  英 樹
 さすが話のプロフェッショナル、上手い。あっという間の三十分だった。話の内容もわかり易く、楽しい時間だった。すぐ今日から実践していこう。こういう講義は、実際の生活に使ってみて、また、相手とのコミュニケーションで実践しなければ聞き流すだけでは意味がない。だが、正しく伝えるための三原則も、信頼を勝ち取るコミュニケーション話法も冷静に聴いている時はなるほどと思っていても、目の前の相手にはなかなかそう上手くいかないことが多いように思う。特に高齢者のとっては。平素からの意識の問題だろうか。こんなことがあった。ある会になかなか参加しない人に対して「いい会だから参加しなよ。すねとらんと。」「別にすねとれへんがなあ。」こういう会話。
 今日の講義の内容から見ると、これでは言葉が魔物になってしまって、正しく意志が伝わらない会話だと思う。もう一度、相手との会話について、また、自分の言語生活について今日の講義の内容から反省して見ようと思う。


十月二十五日(土) 理想的な現実主義者  黒田官兵衛の夢  作 家  家  柳  谷  郁  子
  今日の講師は黒田官兵衛の人間性を大変好意的な見方を持っておられて、テキストによると惚れ込んでおられるようだ。人間をハムレット型とドン・キホーテ型に分ける心理学上の分け方から話を進め、スケールの大き話で興味津々だった。その上に立って黒田官兵衛を一人の人間として捉え、その一生に共感を持ち、一途に理想と現実の狭間で生きたそこに魅力と値打ちを見出されている。殺すことより生かすこと、死ぬよりも生きることという戦国時代としては稀有な考えか方、その思想の背景には、母の死と有岡城での長い幽閉によって得たものであろうと推察されている。 これからのNHK大河ドラマが楽しみだ。いよいよ最終場面に近づいてきたが、如水の生き方がより鮮明に表されるのではないだろうか。私達の生き方の鏡にもなれば。


九月十三日(土)やすみりえのトキメキ川柳 川柳作家    やすみ りえ
 わたしは昔から俳句や和歌といったものには縁のない人生を送ってきた。内心は人の作品を読むにつけいつも羨ましく思い、自分にも作れたらどれほど人生が楽しくなるだろうと思うことしきりである。自分も一句作ってみたいものだといつも思う。
 本日の放送では「ちょっとした言葉選びや、あなたならではの目線を活かせばいつでもどこでも気軽に川柳を楽しむことができます。」とあった。“あなたならではの視線を活かす”“いつでもどこでも気軽に”・・・私にはとてもとても。でも、今日の放送を機会に一句一句と作ってみるかなと思う。そこでこのハガキを提出するにあたり、まず一句と行きたいところだが、思案するもうかばないのがつらい。


 八月三十日(土) おもしろひょうご楽   ラジオ関西パ-ソナリティ   山 崎 整
 楽しく聴きました。ご当地ソング、特に兵庫県内各地の歌の豊富さに驚きました。地域の広がりだけでなく、その時間的経過を含むお話を、まさに縦横無尽に語っていただきました。県内の歌の多さと、またなんといろいろなエピソードがあるものだと感心しながら聴いていました。いい30分でした。楽しそうなのでラジオ関西をこれから聴いて見たいものです。
 さて、小野市の市歌?わからない!こんなことではダメですね早速市役所に聞いて、市歌を聴いてみたいものです。できれば誕生のエピソード等がわかればもっといいですね。
 ありました!小野市歌 昭和29年12月1日制定とあります、なんと冨田砕花作詩 山田耕筰作曲、うた安西愛子となっています。びっくり。CDはないとのこと。「ホームページからと」案内されたが、Macでは巧く聴けないようで、Windowsの人に聴かせてもらおうと思います。でもこんな曲、市民で何人知っているのだろう?


 八月二十三日(土)   神戸とJAZZ ハモンドオルガン奏者   小曽根  実
今朝のお話で、神戸が日本でのJAZZの中心だったこと、そして今でも盛んであることがよくわかった。日本におけるJAZZの歴史とでも言えるお話、楽しく聞くことができた。
 ところで、JAZZの楽しさ面白さ、気分を高揚させる力は実際に聴いてみなければわからない。わたしも「JAZZなんてやかましくてガサガサした音楽」とかなり最近まで思っていた。ところが数年前、小野市のエクラホ-ルでプロのジャズマンの演奏を聴く機会があり、その楽しさに魅了させられた。解説付きだったので余計楽しかったのかもしれないが。
 みなさん、近くにJAZZの演奏会があれば聴きに行きましょう。楽しいこと間違いなし。


 八月九日(土) 法句経に学ぶ 総本山永観堂禅林寺 管長  中 西 玄 禮
 今朝は楽しく聴きました。中西先生のお話はいつも心和やかに聴かせてもらっています。久しぶりに穏やかで響きのいいお声を聴かせてもらい、いい朝となりました。
 ところで「空過」と「勝過」のお話。人生を空しく過ごすのと意義ある充実した人生を過ごすのとではという問いかけを、私達は今後受け止めていきたいものだと思います。残り少ない人生をどう生きるべきかの大きな指針となる事でしょう。
 ただ私はこの「意義ある充実した生き方」というものが、本当のところよく分からないのです。「健老六訓」が出来れば充実したと言えるのでしょうか。年老いて毎日をのんびり、孫たちと遊んで暮らす人生はどうなのでしょか。毎日の目標もなくただその日その日を穏やかに、散歩でもしテレビでも観ながら過ごす・・・また、趣味に生きる、それを楽しみにしている・・・こういった人生が普通であり、まわりの人たちはほとんどがこのような生活を送っているのではないでしょうか。私も含めたこのような人達の人生の充実と意義はどこにあるのでしょうか。日本人の死生観の中には、老後を何か有意義に、人の役に立つ事をする事が意義ある事だという固定観念があって、それにとらわれすぎているのではないでしょうか。最近、立川昭二著「日本人の死生観」(筑摩書房)を読んだ。その中に「老いの楽しみこそ人生の目標である」(井原西鶴)という言葉が出てきます。また、神沢杜口は「辞世など残さずただ死なん」と言っている。未練がましくない静かな死、これ一番。


    七月二十六日(土) 科学者が人間であること  JT生命誌研究館長  中 村 桂 子
「あの地震と津波は想定外」如何にも自然の外にいて言い放ったような言葉。自然の畏れを厳粛に受け止められなくなった人間の傲慢さ。今朝は人類に警告を与える非常にレベルの高い話だったように思う。
科学技術の力と知識、また経済力にものをいわせて、高度な文明社会を築き上げて来た日本、それが真の幸福であるかのような錯覚を人々の心に植え付けてしまったのではないか。
 「何事も早く(速く)」「手が抜ける(便利で楽)」「思い通りに」を追求して来た社会、それなりに人間を幸福にして来たことは一方において確かなことである。我々高齢者もその恩恵に預かっている。だが、生物としての人間には、その反対のことも大切であることを忘れてはならない。今朝の先生の話を聞いていて、日本は今大きく変わりつつあるのだろう。いや、変わっていかなければならないのだと思う。でなければあの未曾有の震災と津波から何も学ばないことになるのではないだろうか。そして「ほんとうの賢さ」「ほんとうの楽しさ」「ほんとうの豊かさ」がわからない国(人間)になってしまうのでないか。私達は今、日常の根源的な矛盾を抱えていきている。
 蜜画?と略画、一元論と二元論など示唆に富む話で、いい考える時間を与えていた。


七月十二日(土)   広がる陶芸表現の世界 兵庫陶芸美術館学芸員  マルテル 坂本 牧子 
 日本人は平何気なくたくさんの陶磁器を使い限りなく恩恵を受けています、しかし、よく考えてみると、生活と芸術がこんなに密接に繋がっているものは他にないのではないか。最近は実用から離れた「こんなものが焼き物か」といわれる新しい陶芸の世界が広がって来ているようですが、平素、美術館等へ行かなければ目に触れる事はありません。
 陶芸には、ほとんど興味のなかった私ですが、今朝は陶芸の世界へ思いを馳せる事が出来たように思います。今使っている器もどうやって作られ、そしてその形を意識し、その上絵柄についてもじっくり観て思考を働かせることができれば、食生活だけでなくあらゆる生活にゆとりと豊さが出て来るのではないかと思いました。
 今流行なのでしょうか、近くの人も数人陶芸教室に通っています。家の前には自分が作った陶器が飾られ、夜になると電飾になって美しい世界を醸し出しています。こういうのを見ると、いつも心が和みます。 解説にありましたが、一度インターネットで観ることにしましょう。


六月二十九日(土)  若々しい身体と頭を保つための10の生活習慣 東京都リハビリテーション病院長     林  泰史
 わかり易い内容でした。年齢とともに体などの衰えは「抗しきれない」という老の四原則は当然だが、テキストにも書かれている10か条の実践によって、体と頭の若々しさを保つことができる。これからの私たちの生活に大きな示唆を与えていただいた。私は今日の話の中で二つのことに強い関心を持った。一つは「記憶力を保つ」ということ。食事・脳トレ・運動によりそれが出来る。さて、食事と運動は当然ながら脳トレが問題。何をやるか。放大を聞いての感想書きも大きな脳トレだと思う。時には、スマートフォンもPCもいいのではないだろうか。読書は最高の脳トレ? 二つ目の関心は、若さを保つひとつに「自分は健康であると意識する」ということ。今、病気で治療している人はなかなか難しいかと思うが、そうでない人はこの意識を持ちたいものだ。いつも何か病気に罹ってはいないかという思いで暮らすのとでは大きな差が出るように思う。病気は年一〜二回の健康診断に任せようではないか。
 「若い」でなく「若々しい」というところがなんともいえないいい響きだと思いながら聴かせてもらった。


六月二十一日(土)高齢者の心理的課題 早稲田大学名誉教授  加藤諦三
「心理的に健康な人の老年期の成熟においては、死への心構えをますます固める。それが『美しき老年』である」という。今朝はそうなるためのたくさんの示唆に富んだお話であった。まず肉体的・社会的な条件の大きな変化によって、人格を再構築(基準の変更)していかなければならないと言う。それに失敗する(いつまでも若いときの価値観でいる)と人生が苦しくなる。人生最後の成熟期に大切なことは内面的成熟である。自己蔑視の脅迫的比較から解放され、自己尊敬ができることが大切で、それが出来れば苦しみが「がたん」と減る。私には自己尊敬はなかなか難しい課題だが、自己を認め、自分を肯定して内面的成熟をすることが美しい老年になる条件であると言う。そためには「今日」を大切に充実した生活を送ることが何よりも必要なのであろう。 まさに私は 七十八歳、自分を肯定する人生を送っているかはなはだ疑問である。というか、自分はどういうふうに人生を再構築してきたのだろうかと考えさせられる。でもこれから一日一日を大切にしたい。最近読んだ嵐山光三郎著「死ぬための教養」と合い通ずる話であった。


六月七日(土)   老後の戒め 作家 下重 暁子  26年度今日から開始
 放送も良かった、考えさられる内容だった。しかし私は放送よりもテキストの内容に明るい生き方を学んだように思う。 「まだまだ大丈夫、自分の体にそして心に期待を持ち続 けること。期待は自分にするものであ る。・・・・・・自分に期待するなら、いくら大きくてもいい。・・・・いくつになっても、 自分を信じて・・・。」
 の部分だ。若さを保つには自分に期待を持ち続けること、それは目標をもって何かをやり続けることだと思う。私も2〜3の趣味を楽しんでいるが、一段また一段と少しずつでも目標をもって高めて行きたいと思っている。それがまた楽しみにもなるようにしたいものだと思う。
 また、老いの戒めについていろいろ話されたが、どれも納得いくものだ。中でもいろいろな人と出会うこと、年齢が違っていてもたくさんの人との出会いが大切だという。上野千鶴子氏の講演会のことが数日前の神戸新聞に出ていた。この人ご存知「おひとり様の老後」のベストセラーを出した人だ。今回の講演会の演題は「つながって生きるおひとり様時代」だ。老後のネットワークの大切さの話。そこで老後のネットワークづくりでの必要な心得として三つのことを話している。
 1 前歴や学歴を言わない。 2 役職名で呼び合わない。 3 上から目線で話さない。
なるほどと思った。でも私はもう一つ付け加えたい。 ・「俺がやった俺がやったを連発しない」


 十二月二十一日(土)  老いは二十代から 作家  三 浦 朱 門  いささかテキストの内容と違った話のように思われましたが、三十代からの肉体の衰え→老化について人生の節目節目に感じた事を話されていました。また、肉体のいろいろな機能の面からも自分の体験を披露されて、八十八歳まで元気に活動されている様子がよく分かって面白く聴くことが出来ました。食生活の話も少しは入れて欲しかった気もしますが・・・。
 これからは心身ともに健康に生きることがもちろん第一ですが、人は肉体の限界に近づいても、家族、まわりの人、社会のどこかで有用な人間であり続けて生を終えることが出来ればと思います。


 十二月七日(土)  支えあう社会を奏でたい 歌手・NPO法人国境なき楽団代表理事  庄 野 真 代
 言葉がはっきりしていいて、話し振りも内容も大変聞き取りやすい放送でした。地域や社会、家庭や古い因習などに束縛されない精神の自由な人の発想や行動は広々としたものを感じます。ところでいささか先の短くなってきた年齢ですが、高齢者こそこの自由な発想を持つ時ではないでしょうか。昔、吉武輝子氏が老人の一つの生き方として「いろいろな人からの誘いに一度乗ってみるのがいい」という提言です。今朝はこれに通じるものがありました。「やり残しノート」も面白い。さっそくやってみましょう。小さいときの夢など、今思い返せばちょっと気恥ずかしものかもしれませんが、きっと膨大な量になるのではないかと思います。ゼロからの挑戦もいいのではないでしょうか。何かを始めよう。
 最近、歳を重ねて感じる事は、いろいろなイベント(若者向けが多いのは当然)等出て行くのが億劫になってきているように思うのです。みなさんギラギラと刺激を求めて外に出ましょう。


 十一月二十三日(土)  書写山圓行寺の世界 執事長 書写山圓教寺  大 樹 玄 承
 大寺院の壮大な歴史。外圧や自然破壊により盛衰を繰り返して、現在まで続いてきた。信仰心の厚さを強く感じる。今朝のお話は、圓教寺が生き物のように、苦労しながら育ってきたように感じた。何回か消失した伽藍がまた再建される信仰心の厚さに思いを寄せる事が出来たように思う。
 ところで「年中行事記」を著した老僧たちの気持ちはどんなものだったのだろう。後世の僧たちへのメッセージなのか。
 現代に生きる私たちに「受け継ぐ」事の大切さを語られていた。あわただしく、目先の事、未来の事が中心の今の世の中、この受け継ぐ事の大切さ古いものを見直す事の大切さを何か忘れてしまっているのではないかと思う。
 受け継ぐ事の大切さを伝えるのは高齢者の役割であるかもしれない。


十月二十六日(土)  お家さん 〜 世界を信頼させた鈴木商店のこころ 〜 作家  玉岡 かおる
  お家さんは、鈴木商店が世界を相手に貿易・商売をし、日本では御用商人と天下を三分するまでに成長させた女主人。
 すべて、夫の通夜の席で始まったと言っていいのでは。従業員の眼差しから全てを悟ったことが始まりではなかったかと思う。従業員たちもお家さんの気持ちをくみ取り、身を粉にして働いた。一日に四足のわらじを持って出たと言う。
 世界に大きく羽ばたくきっかけは、金子直吉に人物を見込んで任せたことである。大きな失敗にも二人三脚で乗り越え、世界の信用を得て行く。目先の儲けより百年の計を大切にし、天下国家や人々のためになることを絶えず考えての商いであったこと。これが素晴らしいと思った。こんな商店が当時あったとは驚きである。
 鈴木よねは、平素は畑に出て花を植え野菜を作り、そして縫い物をしながら過ごしたという。素晴らしい女の一生を聞く思いであった。
 発売当時に、この小説を読んでいたが、思い出されて懐かしく聴きました。


 十一月九日(土)  歌はどこでうまれるか  精神科医 作詞家  きたやまおさむ 今日の放送内容を起承転結でまとめてみました。
[起]
 1960年代、旅の歌がたくさん作られよく歌われた。人は旅に憧れている。
[承]
 人生そのものが旅である。終わりのない、目的地に到達しない旅である。
[転]
 寝起きから覚醒迄のぼうとした時間に歌が生まれる。
[結]
 老後、何物にも追いかけられないゆったりとした時間。この時にこそいい
 歌が生まれる。ヒット曲が出るかも。 人生これからだ。ゆったりとした気分でいい歌(アイデア)がひらめくのだろう。


 九月二十八日(土)
           思い出のメロディー 学 生 参 加 番 組 どの歌も懐かしく聴きました。みなさん青春時代の思い出のメロディーでしたね。やはり心の悩み大きい時代でしょうか。それだけに深く印象に残っていたのでしょう。人生の一ページですねきっと。
 私と言えば、若い当時は流行歌をたくさん歌っていましたが、どれもメロディーは口ずさむ事は出来ますが、何か強烈の印象や思い出というものがありません。ただ、当時歌っていた歌を聞くと、懐かしは大きく沸き上がってきますが。
 私はハーモニカサークルに入っています。老人ホームや敬老会などで懐メロを演奏していますが大変喜んでいただけます。これも、懐かしさに浸り、遠い昔の思い出を蘇らせておられるからではないかと思っています。
 後日、CDで聴いたのですが、どの曲も録音が素晴らしかったです。


 十月十二日(土)
           自分を抱きしめてあげたい日に  作家  落 合 恵 子
 一一九〇年の大宅壮一ノンフィクション賞を授賞した辺見じゅん作「収容所(ラーゲリー)から来た貴書」を読む機会があった。ハバロフスクの収容所で帰国出来る日を待ち望みながらそれを果たせずガンで無くなった山本幡男。彼が極寒の地で抑留生活と厳しい労働、そして死の病と最後まで闘い続けられたのは、望郷の念と「ことば」だったのではないかと思う。「アムール句会」を秘密につくり、そこに仲間数人で句会を不定期に開いた。そこで俘虜生活を詠みシベリアの自然を詠み、祖国への思いを詠み、心の叫びを句に託してメモを残せない状態でも詠みあった。山本は自分の死を意識し、母、妻子どもたちへの遺書を乱れる文字で書いた。さらに紙で持ち帰る事は禁じられていたため、まわりの人たちが、丸暗記して持ち帰ったたという。その遺書も、崇高なことばと内容であった。収容所の人達も山本たちの言葉に癒されていた事がよく分かる。
 今朝の放送で「心の声に耳を傾ける」「心の傷や落ち込んだ時、それを救ってくれるのは言葉である」と言うお話がありました。私は崇高な心があって素晴らしい言葉が紡ぎ出され、逆に崇高な言葉を感じる心を持ってこそ、その言葉が活きて(活かされて)来るのだと思った。
 言葉によって救いを得られるような心を磨かねばと思う。それには人や自然との繋がりを大切にして、その上、本を読もうと思っている。


九月十四日(土)第二の人生、勝負の時である 弁護士・さわやか福祉財団理事長  堀 田  勉
 講師ご母堂の人生終末のお話に感動。「自分の人生を、自分で支えきった」最後のお姿が目に浮かぶようでした。
 退職後、第二の人生を生き抜くために、何をやりたいのかと問われても「やりたいこと」がたくさんある人、またそういう目標の無い・・何を「やりたい」のかもはっきりしない人があるように思います。私は後者でした。ところで、今私の生きがいの一つとなっている趣味は、自分の意志というより、まわりの人達から誘われたものばかりです。それでも結構、のめり込んでいると言ってもいい状態です。いろいろな大会に出る楽しみや時には賞を受ける喜びがあり、その上施設や敬老会などへのボランチィアで、みなさんに喜んでいただくことでより大きな生きがいとなっています。
 ただ、やがて人生の終末を迎えるに当たって、自分の生きがいをどう構築して行くのか、これからが人生の正念場だと思っています。


 八月二十四日(土)笑は健康のもと落語家    露 の 吉 次
 今日の話・落語を聞いていると、一つの言葉から次々と関連する言葉が紡ぎ出されていく。これこそ物事をいろいろな角度から見ているからこそだと思う。
 他人の思いつかない見方ができれば素晴らしいことだ。私たちは、日常ほとんどは他人の考えに合わせて行くことが多いように思う。
 一つの訓練として、毎日一個の謎かけを作りながら、笑いを育み、物の見方を多面的にとらえて脳の活性化を図っていけたらと思う。


  八月十日   施して心豊かに 大本山須磨寺貫主 小池 弘三
 先日、神戸で用があり神戸電鉄に乗りました。行きも帰りも、おばあさんに席を譲りました。今日の放送を聴いて、これって床座施だったのだと思いました。いい事をしていると言う意識は無かったのですが・・・。「無財の七施」については、今までにも聴いた事がありますが、今朝はその一つ一つについて、実際の生活に照らし合わせて説明(法施)をしていただきました。よく分かったように思います。「損得」「出し入れ」の話もされましたが、私はいつも人間関係について「ギブ&テイク」だと思って暮らしています。今日の話に通ずるものがあるように思います。「見返りを求めない施し」がどれだけ出来るかがその人の人間性の深さと関係してくるのでしょう。これからの残された人生、心のこもった言葉や行い、そして笑顔で生きていく事が、わずかでも布施(社会貢献)に繋がるものであり、自分自身も有意義な人生を歩む事になるのだと思います。欲深い人間だからこそ。


 七月二十七日 「ごきげんな人は10年長生き出来る」    慶応義塾大学医学部眼科教授  坪田 一男
 今日の講義、大変分りやすい内容で大いに納得出来た。要は「運動」「食事」そして「ごきげん」が長生きの秘訣という事だ。最近の研究で「幸せな人は10年寿命が長い」というデータがあるという。マウスの実験とボストンのホテルでの調査が面白い。幸せのサイエンスだ。ごきげんな人になろう!いい事ばかりだ。うん?「ガンにかかりにくい、糖尿病になりにくい、高血圧にならない、記憶力がよくなる、鬱が少ない・・・」って。
 だが、「ごきげんを意識する事」が必要とか。楽しい事をやっている、遊んでいるこれが「ごきげんに繋がっている」との意識、また今やっている事が「体の健康、運動になる」という思いを持つ事が大切なようだ。要は意識的に何事もやるってことか。
 それにしても、現代、副交感神経が活躍出来るいい社会にすんでいるのだなあと思った。「ごきげんさん」で長生きしようぜ。


七月十三日 「戦争を知らない子どもたちへ」    歌 手  杉田 二郎
 放送後、案内の先生の紹介があったので早速TouTubeで聴いてみました。子どもたちの歌が入ってないもので残念でした。
 「戦争を知らない世代で生き通さなければいけないと言う強い思い」を感じて作曲されたこの歌。次第にヒットしていく中でこの歌の歌詞に賛否両論が起こり傷ついていったことなど、この歌にまつわる想いがよく伝わってきました。その後45年、現在社会に生きる孫達にこの歌を是非歌い続けてほしい気持ちから、タイトルを「戦争を知らない子どもたちへ」として、子どもたちと一緒に歌うライブも開かれ歌の復活が出来ているようで素晴らしい事だと思いました。特に先生や子どもたちに、曲の説明をして思いを伝えた上でのライブ、この事が大切だと思いました。


 六月二十九日 「太平洋ひとりぼっち」    海洋冒険家  堀 江 謙 一
 五十年前、一番大きな海を一番小さな舟で渡りたい。大きな夢として単独ひとりぼっちの冒険をしたその時の心意気が伝わってくるようお話でした。ところどころに冒険家と思われる言葉が飛び出して、感心したり凄いなあと思う事しきりでした。
 小笠原諸島からアメリカ大陸まで陸地は見えない。GPSもない時代、ヨットの位置も定かでない。でも、この海を進むとアメリカ大陸のどこかに行き当たるしか無いとの思い。灯りが無いため船に衝突の危険をはらむ中、日常の生活リズム(太陽と共に起きて寝る)を崩さないという度胸。
 ひとりぼっちの冒険にはたくさんの緻密な計画や準備が必要だった事でしょうが「やりたかったからやった」と簡単にいう。気持ちの底は案外こんなものだったのでしょう。一つの冒険が終わると自然と次は何を目標にするか湧いてくる、それが出て来ないのは自分の想像力の欠乏だという。その通りだと思う。夢が無いのは想像力不足、うんうんわかるわある! (今日もPodcastで聴いた)


 六月二十二日 「こころがホットする考え方」   コラムニスト  すがの たいぞう
 さすがにカウンセラーらしい。、私たちの心を見通した良いお話で、自分の平素の生活と比べながら納得しながら聴かせてもらった。何やかやとストレス一杯の私です。今日のお話はどれも出来てない私を感じました。
(1)見方を変える。悪いところが目につく→努力しよう。難しいが(2)ONとOFFの切り替え→何をするにもすぱっと切れない(3)焦っている感じの毎日ゆっくり歩く、進める→何をするにもどうしても焦ってしまう。(4)毎日変わりばえしない。先にご褒美がること→先にストレスのたまる事が待っている(5)できないことでがっかりする→がっかりの連続の生活だ(6)要求水準を下げる→これは難しい、何かを練習していると・・(7)自分の悪いときと比べる習慣→簡単なようで私には難しい(8)コントール出来ない事で悩む→コントール出来ないから悩んでしまう・・・
 まあざっとこんな状態で、先生の言われる事、ほとんど出来てない状態です。その意味で私の生活に取っては大いに勉強になるお話でした。心の持ち方を変えていこうと思う。


 十二月二十二日(土) 不老長寿のすすめ 〜まじめは寿命を縮める〜   順天堂大学医学部免疫学特任教授  奥 村  康
 よく分かり、楽しいお話でした。ある意味では、時代の趨勢を容認しない胸の空くような感じだった。「煙草と肺がん」「コレステロール値を気にする」「健康検診流行」といった時代の流れに黄信号を点ずる内容だったと思う。 軍隊細胞(免疫細胞とワクチンなど)とおまわりさん細胞(NK細胞)の比較。面白い例えでよく分かる。このおまわりさん細胞がどんどん生まれてくる悪性細胞を退治してくれているらしいが、年齢とともにこの細胞が減少してくるので病気になりがちになる。でも、気持ちの持ちようで、活性化を図ることが出来ると言う。少々やんちゃでも、ちょい悪程度が活性化にいいのだそうだ。 趣味を持ちぃ、話せる友を持ち、大声で笑える機会を多くする、そして頭がまっ白になる機会を持つ、このことが不良長寿の秘訣であるように思う。最近の週刊誌のコラムに「不真面目な人ほど病気にならない?!」というのがあった。真面目一辺倒、責任感の強い人、なんでもこなす器用な人・・・これは鬱病のなる人の典型的な人物像だと出ている。今日のお話に共通するものだと思った。


 十二月八日(土)   すごい和食     東京農業大学名誉教授  小 泉 武 夫
 二十三年の十月放送「腸内リセット」の話と一致するものでした。私はこの放送以来、納豆にオリーブ油、そして小魚をふりかけることを実践してきました。その内容は・地中海式和食料理 ・植物繊維を多くとる ・運動(歩く効用)の大切さでした。
 本日のお話「和食の勧め」もまた同じで、和食が日本人遺伝子に合っていることが分りました。これからも食生活をよりいい方向に持っていきたいと思います。
 ・和食は免疫力を高める。大腸から
 ・和食は認知症予防になる。ミネラル摂取
 今日のお話はこの二点につきるように思います。パン食が多くなる最近の私ですが、何とか米と大豆・野菜中心の食事にしていきたいものです。
一つ疑問。日本人が戦後和食中心から西洋式の食生活に大きく転換して来たことと、戦後ずっと平均寿命が伸びつづけて来たこととはどう考えればいいのでしょうか。


  十一月十日(土) 「老い」—老年行動学が解き明かす 大阪大学大学院教授  佐 藤 眞 一
 最近の高齢者は「幸福感」が若い人より高いというお話。要は精神的充実をしている人が多いということなのでしょう。今朝の放送にはたくさんうなずくことがありました。

  • 「主観年齢と実年齢」のこと。 ・年寄りの冷や水のこと→「歳相応」が崩れている ・遊楽のこと→自己実現を図るには ・流動知能と結晶知能のこと ・未来への展望を持つこと ・適応力が備わっている(ポジティブ優位性) ・二次的コントロールの巧さ ・人生第四期介護をうけること→前向きに捉える

『高齢者意識』の低い現在の私ですが、八十になっても未来への展望(夢)を持ち続けることが、これからの生活及び精神的充実の基になることを思いました。


  十月二十七日(土) 高齢者のお口の健康   歯科医  山 川 達 也
 高齢者の病気、誤嚥性肺炎・糖尿病・認知症・動脈硬化などは「口」との関わりが大変大きい事を知りました。さらに、口腔ケア(口内を清潔に保つ→歯ブラシ)の大切さ、そしてよく噛むことが、結局自分のQOLの向上に繋がるのだと思いました。
 私達(私だけかも)のような昔ものは、「食事を味わってじっくりいただく」習慣に乏しいのではないでしょうか。家庭でも、いつも「早食いだ」と叱られています。自分の健康のために注意をちゃんと聞かなければいけませんね。
 面白いこと。今日のテキストの中に、口腔乾燥の予防のひとつに「おしゃべり」が出ています。よくしゃべる人はいいですね。特に女性は歯の健康な人が多い?!!


  十月十三日(土) 日本文化と神社信仰  〜伊勢神宮と出雲大社 そこに鎮まる神様のお話〜 神戸女子大学教授  河 田 千 代 乃
 古事記・日本書紀を解説本すら読んだことのない私には、神話の世界については、断片的で噂のようなことしか知らず、何かもやもやした気持ちでした。今日の放送はいとも簡単に、分りやすく国産みや國譲りなどの事を話していただきました。わたしのもやもやは

  1. 天照大御神と大国主の大御神との関係。
  2. 国ゆずり神話
  3. 天孫降臨
  4. 天皇の祖先と神々の関係
  5. 大国主大神の人柄や特徴 等です。今朝は、史実と神話が頭の中で一緒くたになりそうだった。

  九月二十二日(土) 楽ちん料理法 〜昔の智恵を今に生かす〜         料理研究家  坂 本 廣 子
 むかし懐かしい味、日本の風土にあった食物が結局は日本人の体に一番合っているのだとつくづく思いました。日常の暮らしをみつめ直す気運が高まっている時代だからこそより強く感じます。お話の四つの柱とも懐かしい食事ばかりでしたね。
 ?乾物もの?佃煮?大豆の効用?糠床→どれもよく分かる話の内容でした。?と?は、塩分が多いというので控えめにしていますが、料理の仕方をちょっと工夫する事、また野菜を多く取る事でかなり解消できるのではないかと思いました。?と?はよく食しています。特にチリメンジャコと納豆です。今朝は納豆の話は出ませんでしたが・・・今朝のお話を基に食生活を考えていかなければと思います。(今日の先生「食べれる」でなく「食べられる」と言われていた。気持ちよかった)


 八月二十五日(土)  地域医療の在り方     公立神崎総合病院内科診療部長  中 山 一 郎
 住民が安心して暮らせる地域医療の在り方を話されました。柏原の小児科を守る会の取り組みを例に挙げて、三つのハートの必要性を説かれました。すなわち「住民は医師を信頼して医療人を育てる心を持つ 医師は地域に愛着を持ち地域の人の安心な暮らしのために仕事をする 行政は住民の安全安心への強い思いを持って医療行政に取り組む・・・」住民・医療機関・行政が力を合わせることが、地域医療の在り方には不可欠だと話されました。具体的には、1医療機関の連携2かかりつけ医3在宅支援の三点を上げられました。理想的な医療制度に向けての提言のようなお話でしたが、現状はそれにはまだほど遠い現状を替えなければと言う強い思いが伝わって来たように思います。ちょっと具体的には想像ができませんが、地域の人が医師(医療人)を育てると言う事もあるのでね。これといったかかりつけの医者を持たず、在宅医療の考えも無い者としてこの放送を聴きました


  九月八日(土) 生きづらさの正体      仏教思想家  ひ ろ さ ち や
 「高齢者、欲望のまま生きればいい。しかし矩を超えず」とよく言われますが、その通りのお話だったと思います。先生と同じ年齢になりました。そうですね。人間以外の何者かに変身させられることを恐れる事はありませんね。「世間」という怪物に恐れることも無く自由に自分らしく生きて行きましょう。
 でも年齢を重ねるに連れて、こうも忙しくなってくるのはどうしてでしょうか。身動きが取れなくなるほど・・・これは世間からの圧迫ではありませんが、自分で自分を圧迫し続ける私です。残る人生楽しく生きたいものです。


   八月十一日(土)  豊かな暮らしと絵文字  サインセンター理事長  太 田 幸 夫
 平素何気なく見て使っている絵文字についての面白いお話だった。考えもしない言葉が出て来て楽しく聴くことが出来ました。例えば「絵文字を世界共通にする努力」「人と人とのコミュニケーションを取り持つ絵文字」「便化の技術」「絵文字が産業を支える」「絵文字から絵言葉LoCoSへ」等々。中でも「世界中の人に、見るだけですぐ分り、人々にやさしく楽しく示してくれる絵文字(絵言葉)」目指して努力されていることがよく分かりました。国語を乗り超えるのが悲願とか・・・現実にパソコンや携帯電話で使われはじめているとのこと、驚きました。これから絵文字を見直します。
 ただ、昭和三十年(?)頃、国語をローマ字化することが叫ばれたことがあった。少し似ている面がある???


  七月二十八日(土)  身近な仏教漢語 京都大学名誉教授  興 膳  宏
 今朝はちょっと難しかった。現在使っている仏教用語や仏教漢語が、インドから中国に伝わり翻訳され、それが日本に入って来たことがわかりました。その上日本でも独特の発展を遂げて現在使われているとのこと。しかし、その意味するところがかなり大きく変わっていることもあることがわかりました。日本語や漢字が長い歴史の中で培われて来ていることを感じました。平素使っているありふれた言葉がたくさん出て来て楽しく聴いていました。
 面白かったのは、睡眠が煩悩の一つだったと言うものです。睡眠ほどいいもの、煩悩どころか人間最大の喜び・愉しみだと思うのですが・・・。


 七月十四日(土) おひとりさまの愉しみ 〜脳こうそくを乗り越えて 〜 甲南女子大学名誉教授  木 岡 悦 子
 左半身麻痺からの出発・克服。それは大変な努力と意志力が要ったことでしょう。私は先生の病後の生き方に一本の筋が通っているように思えました。それは「喜びを見つける」「自分を見つける」という生き方です。平素の窓から見える風景であったり、自然界、また家族を含む人々との繋がりの中に喜び=感動を見つけ出していく能力。そしてそれを書き留め、記録(写真を含め)に残していく喜び、このことが大きな支えになっているように思いました。私も、新しい自分を見つける、喜びを見つける日々を過ごせたらどんなにいいだろうと思います。また、今朝の放送で二つはっとさせられたことがありました。
 1 若さのバロメーターは背筋の伸び方→この頃曲がって来たぞ!
 2 心のアンチエーディング→一日を大切に「常に学びつつ」好奇心を持って生きて行こうぜ!


六月三十日(土) 悪徳商法への対応 〜消費者トラブルに巻き込まれないために〜 兵庫県生活科学総合センター職員 河 野 史 和
消費者ラブルが年間八千件以上、潜在化の進む現在、何とそれの二十倍はあるという。まさに氷山の一角らしい。「悪質」の由縁はまさに、高齢者の「お金、健康志向、孤独」につけ込んだ商法であることだ。巧みな話法と強引さで赤子の手をひねるようなやり口はほんとうに卑怯だ。どうして人を騙すようなこういう商法がはびこるのか。それも今の時代や世相(利殖=金儲け・催眠法・点検依頼等)を巧みに利用するやり方は、実に巧妙な手口であることがわかる。意識して用心したいものだ。
 「消費者トラブルを防ぐために」もとても参考になる。要は「あやしい、変だ」と思う感覚を持ち、きっぱりと断る。そして一人で悩まず身近な人に相談する心構えを持ちたいもの。私はここでもう一つ重要なことがあるように思う。それは近所・団地・最寄り付き合いのことだ。団地の楽しみ会やサークル活動に努めて参加することがとても大切だと思う。そこでの情報交換はトラブル予防の最前線だと思うからだ。


  六月二十三日(土) 副交感神経が人生の質を決める  順天堂大学医学部教授  小林 弘幸
七 十歳代半ば、副交感神経も相当低下していることでしょう。いつもあくせく追われているような生活では余計でしょうね。いい話を聞きました。結局、人生スローでゆっくり、そして笑顔を絶やさないことが肝要で、副交感神経の低下を防ぎ長生きの秘訣。大切なことを約十項目話されましたが、それぞれ、そんなに難しいことではなく、今からでもすぐ実行出来るものばかりでした。いつも意識の中に入れておきたいものです。
 今朝の放送の中で一つ光明を見つけました。「ため息はいいもの」、長生きのためには必要なものと言うお話。うれしくなりましたね。いつもため息ばかりついて、妻から叱責され、嫌がられている者として、反撃のチャンス得たようなものだからです。
 今朝は大いに納得しましたが、「ウォーキングは夜に」には驚きでした。


 六月九日(土) 二度とない人生だからA  〜人生は幸せ探しの旅〜   総本山永観堂禅林寺 管長 中 西 玄 禮
日常の何気ない事象・現象によろこびを感じ、幸せを見つける旅こそ、「粋な季節」の真最中を迎えた私の生き方なのでしょう。若いときは何か特別なことが幸せであり、それがまた生きる喜びでもあったのだと思います。「幸せ探しの旅」私達はいまその途上にあり、また終わりに近づいているのかも知れません。とてもいいお話を聴きました。自分にとって幸せとは・・・考えるよい機会となりました。ちょっと話は変わりますが・・、
 大河ドラマに夢中の私です。先週、後白河天皇の誕生と保元の乱でした。すごいドラマが展開されましたが、その後白河天皇の好きな言葉。「遊びをせんと生まれけむ。たはぶれせんと生まれけん。遊ぶ子どもの声きけば、わが身さへこそ、ゆるがるれ」(梁塵秘抄) 遊び=楽しみ=幸せ・・・ 天皇はこのように思ったのでしょう。私達はこれから四苦八苦に遭遇して行きますが、後白河天皇のこの言葉も頭の隅に置いておきたいと思っています。「人生、生きているだけで丸儲け」


一月十四日(土) 学生参加番組    〜 親しい人への手紙 〜
 今朝放送された皆さん、それぞれの思い出を綴られて、その内容の濃いさに感動です。相手の人を心から大切にされている様子がよく伝わってきました。
 私にも思い出につながる懐かしい人々(故人を含め)がいっぱいいます。これからもこの思い出(人)を大切にしていかなければと思いました。


十二月三十一日(土) 今年は天体ショーを見よう   兵庫県立大学 自然・環境科学研究所次長・教授 黒 田 武 彦
 「宇宙は私達のふるさと」という言葉、意味深いものだと思いました。分かっていることだが、地球も星の一つであり、そこに住む人間を含むすべての生き物が、宇宙の進化の中で生まれて来たものであることを、改めて考えさせられた。また、一年十二ヶ月の意味や、驚いたのは二月がどうして二十八日なのかの発見だった。
 というわけで、今日の放送を契機に、天体を楽しむ機会を少しでも増やしたいものだと思う。折角今年一年の天体ショーを披露していただいたのだから・・・。中でも、五月二十一日の金環日食と、六月六日の金星が太陽を横切るショーはぜひ見たいものだ。メモ帳にしっかり書き込んだ


十二月二十四日(土) 血圧計を出して来た     兵庫県立リハビリテーションセンター中央病院元副院長 鳴滝恭也
 放送を聴き、タンスの抽き出しにしまっていた血圧計を早速出して来た。私の血圧は「至適血圧」に入っている。高血圧が、脳卒中や心筋梗塞、そして寿命そのものを縮める話。これからは時々血圧を計ろうと思う。医者からは血圧について、何か言われたことが無かったので無頓着であった。だが、今日の放送は、血圧改善は何歳からでも始められることが分かった。食・運動・ストレス・酒煙草の摂生。中でも減塩が一番大切とか。最近、自分なりに気が付いていたのが、歳を重ねるごとに、だんだん辛い物が欲しくなって来たことだ。私は若いときには結構味の薄いものを好んでいたが、いつの間にか食生活が変わってきて、現在では漬け物・佃煮類を結構よく食するようになっている。本日のお話は、簡単に言ってしまえば、実践あるのみだ。いから頭で分かっていても仕方の無いこと。これからは食卓をにらんで、箸をどこに多く持っていくかが問われている。箸任せでは駄目で意志を強く持たなければ!


十二月十日(土) 野生動物を飼育する意味    日本動物愛護協会理事長 中川志郎先生
 今朝は、驚きを持って楽しく聴きました。
 ゴジラが自分の体毛を抜いて、しかもそれを食べる行為、また自傷行為。コアラは、母親の与える離乳食、親離れする時に出す緑の『うんち』を食べさせて、自分の一生食べ続けるものについての臭い等を覚え込ませる行為。
 いずれも驚きでした。野生の動物は、食生活も環境の中で長年にわたって作り上げて来たものだということがよく分かります。野生時代の習性行動の伴わない食事は、多くの動物たちに精神障害を起こすことになるのでしょう。
 「野生動物にとって『食』は単なる栄養分の摂取だけにとどまらず、食に至るプロセス自体が重要な日常行動としてインプットされているのです。」この言葉は総ての動物に当てはまることがよく分かります。
 人間の食生活についても、今朝のお話は大いに示唆に富む内容だったと思います。


十一月二十六日(土) 放送内容とは逆生活の私        滋賀医科大学教授  宮崎 総一郎先生
 「脳に効く睡眠学」のお話、大体は分かりました。理解も出来たように思います。ただし、私にとっては実践がかなり難しい。病気(健康)や脳の活性化には、よりより睡眠が必要とのこと・・・私の生活を聞いて下さい。

  1. 夜寝るのが大変遅い、いつも次の日の午前一時以降になる
  2. 遅いわけは、十時頃からパソコンに向かっている。「体に悪い光」を絶えず浴びている。眠くなくなる?
  3. 当然、朝起きるのが遅い上に、起きてもぼーとしている事が多い。
  4. その上、朝食は、簡単そのもの。妻がいろいろ玉子などをしてくれるが、一人のときはほとんどパン一枚程度だ。
    というわけで、私には今日の放送内容の実践が出来ないのです。寿命を縮める。でもウォーキングをやっているので、これはいいかも知れませんね。
    皆さん私が夜遅くパソコンと格闘しているわけ、拙いマイホームページを覗いてみてください。ネット友達になりましょう。次へどうぞお越し下さい。
     http://kohu.chips.jp/      

十一月十二日(土) やさしい個人主義の誕生      月間生涯学習通信『風の便り』編集長  三 浦 清 一 郎
 放送を聞きながら、ふと昔(十年以上前)読んだ「やさしい個人主義の誕生」(山崎正和著)を思い出していました。ボランティアの誕生はまさにそのことではないかと思ったのです。伝統的共同体(しきたり・慣習・おきて・・・)の崩壊により、個人は自由になったが、今度はさびしい日本人(堅苦しい日本人)が誕生してきた。こり固まった個人主義ではなく、自分のものをしっかり持っていながら、人のこともよくわかり、話もよく聞け、仲間を作ることが出来る個人、新しいネットワーク(先生のいわれる社会貢献縁→志縁)に入れる、あるいは作っていけることが出来る人達が出て来た。これが日本型ボランティアだろう。ボランティアの心を持つことは新しい優しさによる自分作り(居甲斐・やり甲斐)につながることでしょう。逢えてよかったと言ってくれる人を一人でも多く作る暮らしをしていきたいものです。


 十月二十二日(土)  腸内リセット健康法   松生クリニック院長  松 井 恒 夫
 腸についてあまり考えたことが無かった私ですが、この放送を通じて腸について意識を新たにし、健康や食事について考えることが出来ました。私達高齢者にとてもいいお話でした。腸は第二の脳、体全体の調子に関係し、生命活動を支えていることを知りました。最近腸の不調を訴える人が増えているとのこと。一言でいえば「停滞腸」が原因で、腸内環境の悪化によるものらしい。これは、食生活の変化が原因と思われ、腸内リセットすることで健康な体に改善出来るということでした。腸を活性化させ動きをよくすることで体全体がよくなることがわかりました。そのために先生の話を三つのことにまとめました。一、地中海式和食料理 二、植物繊維を多くとる 三、運動(歩く効用)の大切さ。すべて納得です。私はオリーブ油の効果を改めて知りました。これからは実践あるのみです。みなさん長生きしましょう。

 十月八日(土)  老いを愉しむ  聖路加国際病院精神腫瘍科医長  保 坂  隆
 後期高齢者になった。今からが人生の醍醐味を味わうときだ。「老いを愉しむ」は、私にとっては最適のお話であった。でも、現在の私はダウンサイジングどころか、どんどんやることが増えてきて、時間が足りないくらい。特に、趣味として詩吟とハーモニカを習っている。とても楽しいが、それなりに練習をする必要に迫られ時間を多く取られる。なかなかゆったりとした気分なれないのが現状だ。また、付き合う人も多くなり、いろいろな人との繋がりが出来て豊かな気持ちになる。ちなみに年賀状の数もどんどん増えている。今は「老い」を愉しむというより、「暮らし」を愉しむと言った方がぴったりだ。日々あくせく忙しい人生だ。でもしかし、いつかダウンサイジングに方向転換をしなければならない時がそう遠からず必ず来る。そのためにも今日の放送内容をよく噛みしめたいと思う。

  九月二十四日(土) 病気は自分で治す―健康で天寿をまっとうする生き方―新潟大学大学院医歯学総合研究科教授  安 保  徹
 難しいところもありましたが、面白いお話でした。面白いところが二つ。一つは、歩くだけの人は「徘徊老人」で、足だけを鍛えても駄目とか。笑ってしまった。二つは、生き方の無理は禁物だが、楽をしすぎるのも駄目。
 今朝の放送で、「酸素の要らない解糖系」と「酸素に依存したミトコンドリア系」と、私達のエネルギー生成がこの二本立てになっていることがわかり、そして老化と発ガンのメカニズムが明らかになって来たことがわかった。とても簡単な言葉と内容で説明されていて、納得出来たように思う。要は、交感神経に緊張を与えないことが大切だと思った。血流を悪化させ、低体温と低酸素状態にならないことが健康の秘訣。ここからガンにならずに生きる方策が見えてくるという。非常に簡単な結論で分かり易い。それは、生き方の無理をやめ、深呼吸して、養生すればガンも生きづらくなって消滅すると言う。さて、高齢者はどのような生き方、どのような生活がいいのだろうか。解糖系とミトコンドリア系が調和を保つような生き方って?さて?天寿をまっとうする生き方をしたいが・・・。

  九月十日(土) “海底を蹴って浮かび上がれ”京都・真言宗総本東寺前教化部長   土 口  哲 光
 あと数日で後期高齢者になる私ですが、今までの人生、放送の水垣宏三郎氏の「・・・そこで海底を足でポンと蹴って浮かび上がる。そこまで行かなければほんまもんでないよ。」にはとてもとても及ばない。それどころか途中で苦しくなって浮上するのが私の人生だったでしょうか。でも、著書の「泣いて生まれてきたのだから笑って死にゆく準備をしよう」は是非手に取って読んでみたいものだ。そうだ!そろそろ準備をしなくてならない。親の恩、師の恩、地域社会の恩、国家の恩、国際社会の恩に感謝しながら、そして家族や孫たちにもお礼の気持ちを持ちながら準備に取りかかろう。いろいろな関わりを落としながら(削りながら)・・・それも準備のうちでしょうか。

   八月二十七日(土) 防災に生かすお天気情報気象予報士 元富山地方気象台長   正 木  明
 美しい自然の移り変わりの中で暮らす私達日本人、四季とりどりの季節感を味わう幸せを感じる。ただ、この美しい自然が、時として恐ろしい姿に変身することもよく知っている。どんな自然災害があるのか。放送を聴きながら数えてみた。台風による雨風、地震、噴火、大雨、干ばつ、津波、高潮、大波、大雪、日射、地滑り崩落陥没、紫外線、有毒ガス、熱水・・・たくさんある。これらの自然現象の猛威は、地球がひとつの星であることから起こるもので避けて通れない。自然災害の少ないと言われてきた兵庫県でも、大震災をはじめ、作用町の災害、神戸での災害等次々と発生している。私達高齢者にも、是非心の準備と物の準備を怠らないことが必要だ。「災害はいつも姿を変えて現れる」という先生のことばをかみしめたい。ただ、自然だけでなく人間も自然に対する考えが大きく変わったように思う。山を削り、道路はすべて舗装道路になってしまった。災害の検証と記憶を薄れさせないことが必要だ。

  八月十三日(土) 「はまり」の科学京都大学こころの未来研究センター教授 船橋 新太郎
 人間誰でも「はまっている」と言っていいのではないか。依存の程度は違っても、何かをしている(趣味とは限らないが)と思うからだ。自分のことを考える。詩吟・ハーモニカ・パソコン、技術的には未熟だが、どれも五年〜十年続けている。これって、「はまっている」のだろうか。「やりたくて仕方なし」というより、人に誘われて何となく入ったという感じだ。でも続けているのはやはり、報酬に誘導されて「はまっている」のだろう。次第に上達する・いい曲が吹けるようになる・詩吟の大会に出て入賞する・ボランティアに行く・ブログ、ツイッターをする・写真の処理が出来るようになる・・・時間がいくらあっても足りない。これって依存症?上手くいかなくて頭に来る!こともあるが、多くの仲間が出来ることは大きな喜びだ。妻に叱られながらも、心の病気でなく、心の健康そのものだと思っているのだが。

  七月三十日(土) 「思い出のメロディー」
 「テーマが思い出のメロディー」、歌にまつわる記憶というのは人それぞれ結構あるようですね。今朝放送のみなさんはその歌に思い出が強かったのでしょう。特に女学生、惜別の歌、愛と死を見つめてなどは、特別に思い出の強いもののように思いました。
 私には歌にまつわる特別な思い出はありませんが、昔よく歌った歌を聴くと「思い出のメロディー」として歌自体に懐かしさを感じます。若い頃よく歌ったなあという気持ちです。みなさん大体がそうではないかと思っています。みなさんご存知のテレビ「BS日本の歌」(近所方に教えてもらった)を毎月曜日に聴いています。フォレスタの素晴らしいハーモニーが醸し出す昔懐かしい歌には涙が出るときがあります。特別な思い出が無くても、心の安らぎと感動を覚えます。

 七月十六日(土) 「唱歌のもうひとつの顔」      東京大学大学院人文社会系研究科教授  渡辺 裕
 ハーモニカサークルに入っている関係で、施設等で童謡唱歌を演奏する機会が多いのですが、その際、演奏する曲のことを調べます。確かに今朝のお話のように、唱歌の持ついろいろな顔を見ることが出来、「それがまさにひとつの『文化』である」ことが実感されます。
 現在、各地に「童謡唱歌を歌う会」が出来ているように思います。古き良き時代の曲を歌うことで、誰もが共有する日本人の心の原風景を呼び起こすことが出来るのではないかと思っています。わが団地にも最近、「唱歌の会」(仮称)結成の動きが見られ、うれしいことです。是非参加して、本日の講義の内容を実体験したいと思っています。美しい曲は後の世まで残していきたいものです。

 七月二日(土) 「人生二毛作のすすめ」    お茶の水女子大学名誉教授  外山 滋比古
 終了後の解説で「二毛作は人生二度の楽しみ」というお話があった。今日の講義は「人生の成功は二毛作の生き方にある」がテーマだった。人生二毛作を充実させるために、若いときから、定年後の生き方を考えておく必要があるが、高齢者であっても、今、目的の無い人は至急・・大至急二毛作目の生き方を考えることが大切だと力説された。放送大学に学ぶ大多数の方は、目的を持って人生二毛作を歩んでおられるのではないか思いますが、今日はその健康的な歩み方に付いて大変わかり易い言葉で教えていただいた。一、日課としての散歩 二、手の散歩 三、口の散歩(違った職種の人とのおしゃべり等) 四、頭の散歩。これらを実践することはいつまでも若々しくおれる秘訣ではないかと思う。もうすぐ七十五。ここで四つのことをもう一度じっくり考えてみたい。

 六月二十五日(土) 認知症の予防と介護       東葛病院院長  下 正宗先生
 本日の先生はなかなか皮肉だ。講義の内容がたくさんあって、聴くごとに忘れていく。認知症テスト?メモを取る間もないほどで、私の認知症状も進んでいる証拠?断片的に覚えているものを列挙してみよう。
・ 認知症には中核症状と周辺症状がある。 
・ 中核には記憶障害、見当識、??? 
・ 周辺症状は人間関係が主な原因 対応は自尊心を傷つけない
・ 最近は治療法もかなり進んできている。医療機関や包括支援センターで相談する。他の病気と同じく早期発見早期治療が一番大切。
・ 予防では細胞を老化させないことが大切。栄養バランス・やさしい人間関係・適当な運動
・ 記憶障害は時間(年月日)→場所→人と進んでいく。
 ところで、周辺症状って何だった?徘徊、失禁、暴力・・・もう忘れてしまった。7%もあるのに自分のこととして捉えられない駄目加減。

六月十一日(土) 世間に学ぶ      社会学者・評論家 加藤 秀俊
 普段、何気なく使っている「世間」が、見知らぬ人達の交流から始まったとは面白い。村の生活から都市生活への変化の中で、人々が世間を意識し始めたことがよくわかった。ところで、テキストの中に「じっさい、『世間』というのは偉大な教師である。」「その気になれば、いつでもどこでも『世間』からまなぶことができる。」とある。この年齢になっても、判らない、知らないこと、驚くことのいかに多いことか・・・、そして、「世間」の人達(サークル・各種団体、地域等)に教えられることの圧倒的多さ。自分の小ささ(世間知らずぶり)を痛感するばかりである。昔、テレビで誰かが「知るは楽しみなり」とよく言っていた。私は、未知のことを知る喜びは、人生の大きな楽しみのひとつであると思っている。ただ私は、「世間」をもう少し広く捉えて、マスコミ、書籍も含めるといいと思う。本は偉大な教師となりうると思うからだ。これからも、偉大な教師に教わる楽しみを長く持ち続けたいと願っている。知らないことが多すぎて、仏にもう少し待ってもらおうか。

 一月二十二日(土) ガンの早期発見と予防   兵庫県立先端科学技術支援センター所長  千 川 純 一
 放送を聴いていて、ガンが体内のカルシュウムの量と関係があるということがわかりました。その詳細はよく分からなかったのですが、歳を重ねるに連れて、より必要な栄養素のひとつである事もわかりました。食べ物をバランスよく撮る事の必要性をより強く感じました。それにしても毛髪でガンの在る無しがわかるって、すごい技術ですね。やがてがんの予防の実際に繋がっていく事でしょう。

   十二月十八日(土) 学生参加番組        
 放送を聴いていて、その声から、みなさんの元気さが伝わってきます。清々しい気分になりました。その上、高齢者の生き方の大切な要素がすべて入っていたように思います。うなずきながら聴かせて貰いました。何人目かの女性が話されていた「カ・キ・ク・ケ・コの人生」(感動・興味・工夫・健康・好奇心)にそれが表れていたのではないでしょうか。
 私もひとつ、人生で大切なことをカタカナで紹介しましょう。「デ・ハ(ワ)・ア・シ・タ」(出歩く・笑う・歩く・喋る・食べる)です。これは私の友から教えてもらったのですが、より具体的で参考になるのではないでしょうか。この言葉をいつも頭に入れてくらしています。人生が楽しくなりますよ!みなさんもどうぞ。

  十二月十一日(土) 地域力で防ごう詐欺商法   ひょうご・まち・くらし研究所  山口 一史 先生
 豊田商事事件の頃だったでしょうか。私の努める学校の校区で、今朝のお話と同じような事件(?)がありました。地域の人達(主として高齢者)が、何十万もする高額な健康器具を買わされることがありました。腰痛や関節痛、肩こりなどが治るという器具の講習会。もちろん無料で、説明を聞くだけでも結構。器具を使ってもいいと言ううたい文句。この各戸配布のパンフが効き、かなりの人が集まったようです。その講習会(?)に複数回参加しているうちに、甘い言葉にのせられてしまったようです。ある家では、若い人が注意しても「そんなに悪い人ではない。」といって参加していたようです。本日のお話と全く同じ手口ですね。参加した人達の心を掴んでしまうのでたちが悪いですね。甘い言葉に注意したいものです。

 十一月二十七日(土) ストレスを消す技術   東邦大学医学部教授  有 田 秀 穂 先 生
 狐に騙されたような面白い話でした。えっ?そんなに簡単にストレスが消えてしまうの?という感じです。それも誰でも出来るとても簡単な方法で・・・。驚きでしたね。「襲い来るストレスを上手に受け流し、『苦しみ』を脳から消せばよいのです。」と簡単に言われますが、こんなことが出来るのかとまず思いました。その上、初めて聞く「セロトニン神経」という言葉(神経)、なんとこの神経によってストレスが解消出来るという。また、この神経の活性化には、呼吸、歩行、咀嚼のリズム運動が大切だということらしい。この運動をわずか五分から三十分でいいから続けることが大切だとか。難しいことではないので誰でも出来そうだ。今の私の趣味、ハーモニカと詩吟、もしかしてこの神経の活性化に役立っているの?かも。

 十一月六日(土) 詩と向き合う瞬間    上智大学グリーフケア研究所所長  高 木 慶 子 先 生
 蕪村や良寛の句、文部省唱歌「ふるさと」の歌詞、最後に坂本九の「見上げてごらん」を採り上げられて、とてもわかり易く、また心に訴えるものが大変強かったと思います。死を迎えるにあたって、その孤独感の深さは計り知れない大きなものだと自分でも思っております。それだけに、心と魂のケアのお話は、身に迫るものでした。先生は、早くから心の準備が必要だと言われました。「ありがとう」「ごめんね」「先に行って待っているよ」最期になって周りの人達に言うことができるか、つまり自分の人生を肯定的に捉えることが出来るよう今から準備しておくことが大切だと話されました。人生に力をもたせるような肯定的な生き方、そして自分の帰り着くふるさと探しをしていきたいと思います。

 十月三十日(土) ずっと一緒に    田 中 真 由 美 先 生
 障害を持って真っ直ぐに生きておられる田中さんのお話に感動しました。カンタスからのメッセージを素直に受け入れる田中さんご本人にも。地に足の着いた生き方とはこういう事を言うのでしょう。どうしても浮薄なものに流れ、人のことが気になり、他人のせいにしてしまいがち私です。そういう自分を足下から見つめる本当によい機会となりました。「今ある存在が価値あるもので素晴らしい」カンタスと田中さんの様子が想像出来ます。絶えずあくせくして、何かを求めている自分を思う時、ゆたかな人生を創る上で一番大切なこととして話された、高いハードル「受け取る=受け入れる」を目標にしなければと思う。今後、自分にもたらすすべての出来事に、自分で意味を与えながら「素直に受け取る」生き方を課題としていきたい。

 十月十六日(土) 龍馬から学べ ―うわさ好きな日本人―    作家・歴史家  加 来 耕 三 先 生
 世界一うわさ好きの日本人。うわさを現実と信じる日本人。無邪気にうわさを信じ、はしゃいで反応する日本人・・・今日はこの日本人の特質に大いに反省を迫る内容でした。本当に、常識人として、地に足の着いた考え方をする必要性を強く感じました。ちょっとテレビや映画にはしゃぎ過ぎでしょうかね。(でも平素の生活には楽しくていいですが・・・)今年初めて「竜馬がいく」を読みました。あれは小説ですから・・・ということをよく聞きます。今日もそういうお話だったと思います。ただ、私はあの本の中で、幕末にたくさんの人達(数えきれない人たち)が自分の信念を通して死んで行ったことに驚いています。これはうわさでもなんでもなく、死という事実の前に私達は何を学びどう考えればいいのでしょうか。

  九月十一日(土) 考えないヒト 京都大学霊長類研究所教授  正 高 信 男 先 生
 今朝の放送はとても分かり易いものだったと思います。高齢者の現在抱えている問題の核心を突く提起でした。高齢者の持っている情報など、現代では鼻もひっかけられない・・・一方、人間は自尊感情抜きにしては生きられない・・・このふたつの対立どう解消していくかが、これからの高齢者問題の中心課題となるのでしょうか。その為にはコミュニティの再生をと話されていましたが、全くその通りだと思います。高齢者はどんどん外に出て、いろいろな人との繋がりをもつこと、趣味やボランティアで人との接触を持つことなどが求められているように思います。

  八月十四日(土) 心がまあーるくなる禅のおはなし 浜松医科大学名誉教授  高 田 明 和 先 生
 人間の生き方についての根本的な考え方のお話でした。身の上相談の話から禅の思想を導かれるお話は具体的であり、また「無門関」の挿話もいろいろと考えさせられました。
 「これでなくては駄目」というこだわりをもって生きることの狭さ。「常に褒められる人なく、また、常にそしられる人もなし」人間の見方に対する大きな示唆。「もう一人の元気な心をもった自分が外にいる話」自分を苦しめこだわりすぎて内向きな生き方になって行くと、「元気な心」が苦しくなって外に飛び出してしまう。自分の心を信じ自信を持つことの大切さを考えました。年齢とともに、何につけても、既成概念が邪魔をして「こだわり」が頭をもたげます。今日は自分の心に向き合う大切さを教えていただきました。

 七月十七日(土) 植物たちの健康術       甲南大学理工学部教授  田 中  修 先 生
 美しい花に秘められた秘密、自然の神秘を感じました。太古の昔から誰に教えられるでも無く、自然に身につけてきた花や植物の護身術。自らの種を残していく仕組みは驚異に値します。まあいえばその素晴らしい能力のお陰で人類やその他の生き物が繁栄することが出来たのですから、感謝・感謝です。花は、美しく着飾ることで虫たちを引き寄せる為だと思っていたのですが、ただそれだけではなかったのですね。
 今朝は大自然の大きさというかその不思議さを感じさせていただくいい時間となりました。これから花を見る目も変わってきます。

  七月三日(土) 兵庫、街かど学 X     園田学園女子大学名誉教授  田 辺 眞 人 先 生
 「夏越しの祭」の謂れ、その原点から話を始められた今朝の放送はとても興味深いおもしろい内容でした。平素何気なく見ていたり、行動したりしていることが、古から日本人の心の中にある「ケガレ」に関係していることを知りました。お祓いや禊、紅白の幕、法螺貝の音、除夜の鐘、鰯の頭、熨、菖蒲、茅萱、七夕飾り・・・
 不思議ですね。日常何となく不思議に思っていることがよくあるものですが、今日のお話を聞いていっきに解決したような気持ちになります。古い習わしや伝統行事などについての見方・考え方が開かれたような気がします。今朝は、身近な行事や日本文化の歴史の一端を考えるよい機会となりました。人間って不思議な生き物ですね。

 六月二十六日(土)  排泄と尊厳      NPO法人コンチネンス協会会長 西村 かおる 先生
 排泄について、その予防、治療、そして生活上のケア、この三点からそれぞれその考え方について詳しく話していただきました。特に「排泄の気持ちよさは日常生活の気持ちよさ」という言葉はその通りだと思いました。その為には何よりも予防が大切。なかでも「骨盤底筋訓練」の大切さを思いました。これからの生活を健康的に過ごすにはただ実践あるのみだと思います。年齢を重ねるごとにこの問題は最重要なものになって来ると考えると、今朝の放送は私の意識を大きく変えていただきました。健康の原点はトイレから!

 六月十二日(土)  男と女の境界線        江戸川大学教授 斗鬼正一 先生
 とてもおもしろい内容でした。平素、男と女との境界線など考えたこともありません。考えてみれば不思議です。最近はテレビなどを見ていても男か女か分からない人がいます。また子どもの中でも同じことがあります。日本の昔からの伝統や文化、生活風俗などで、いつの間にか作り上げられてきたものだということも分かりました。それにしても世界は広いですね。いろいろな地域の男女の様子を紹介されていましたが、ただただ驚ことばかりでした。男・女に対する既成概念が崩れそうなお話でした。日常、既成概念の中で暮らしている私も、今日は、ものの味方、逆の発想というものについて考えさせていただきました。

 一月九日(土)  学生参加番組2        
 感動して聞いておりました。みなさん素晴らしい「めっちゃうれしかったこと」の体験を持っておられ、すごいことだと思いました。中でも「二十歳の決断」と「アラセブ」の登山は私などには到底及ばないことです。それだけにこちらまでうれしくなりました。いいお話ありがとうございました。
 なお、発表された皆様、それぞれ文章のお上手なことにも驚きです。四百字以内にきっちりと収められているのに感心しました。

 十二月十九日(土) 学生参加番組
 どの方の放送も感動を持って聞かせていただきました。
 今、自分の生き方を思うとき「高齢者らしく」という意識がほとんどない事に気がつきます。これから、今日の放送を参考にしながら考えて行こうと思う。
 「戦争を語り継ごう」。戦中戦後のことがだんだん忘れ去られようとしている今、私達の世代の責任のように思う。 「学びと生きがい」数奇な運命を持たれた体験を話していただき、人間は、自分の力ではどうする事も出来ない宿命のようなものがある事を感じました。人間の思い上がりを戒めるものです。

  十一月二十八日(土) ほほ笑みのある暮らし〜ほほ笑みのある言葉〜 作 家   清 川  妙
 「心をさっと暗から明に染めかえる」心こもるあたたかい言葉のすばらしさ。その言葉の基礎となるのは、ほほ笑みのある心であると話されました。今朝の先生のお話そのものが、話し振りも含めて、ほほ笑みのある心で、あたたかい言葉そのものでした。聞いていて心の安らぎを感じました。
 「今日も楽しくお暮らしですか、の手紙の書き出し」「「見過ごすような言葉や文章に感動する心」「言葉にユーモアのあるもの、そして芯がある言葉〜心の余裕につながる〜」「ユーモアのある言葉には人を救う力がある」「怒り愚痴、妬みなどをはねつける意思」「言葉の裏には心が張り付いている」「ありがとうも、おめでとうも、通り一遍でなく、なるべく具体的な言葉を添える」
 「心のこもる言葉には、それなりの研鑽が必要である」とも話されていました。平素、言葉にはほとんど無頓着に暮らしている私など、素晴らしいお話だなあと思いながら、これからの生活、話す時も書く時も、そしてながらく続いているマイブログを書き込む時も、頭の片隅に今日のお話をインプットしておかなければと思います。でも何だかガサガサした今の世界に染まりそうです。

 十月三十一日(土) 喜びの輪を拡げよう   エッセイスト&俳人   吉 田  類
 先生の話しぶりや言葉遣いから、本当にやさしさが感じられ、放送の感想を書くことが難しいくらいです。お話そのものが、本当にやさしく平和で、いろいろな事例そのものが、日本人の昔から持っている心に触れるような感じで、ほほえましく聞くことが出来ました。
 句会の仲間としてのつながりや軋轢、挿話、義姉のこつこつとした花園づくりなどどれをとっても、日本及び日本人の素晴らしさが随所に出ていて楽しく聞かせてもらいました。
また、人々がその気持ちを汲み取って、遺志をついで、発展させている様子など、聞いているだけでも気持ちよくなり、何かほのぼのとしたものを感じておりました。こういう人たちの集まりが、これからの日本のこころのふるさとを失うこと無く伝えていくものだと思いました。「自然の豊かさ、厳しさをひっくるめてのスロー・フード、スロー・ライフと呼べる暮らしがあったのです。」本当にその通りだと思いました。高齢者、これからの人生、日本に住めることの喜びを感じ、毎日を大切に暮らしたいと思います。

十月十七日(土) 富士山とニッポン    大手前大学教授   上 垣 外 憲 一
 富士山はあらゆるところで、日本人の生活に溶け込んでいる。「フジヤマのトビウオ」といって、日本そのものを象徴することがあったり、各地の一番高い山を「○○冨士」と呼んだりしている。歌にもたくさん歌われている。日本人は富士山が大好きなことがよく分かる。
 今朝の放送を聞いて、大昔から現代まで、富士に対する見方や考え方はそんなに変わってないのではないかと思った。一つは信仰の対象としての富士山であり、もう一つは、観光目的の富士山である。かなりの人は、その両方をもって、冨士山を眺めたり、登るとは思われるが・・・。
 私は登ったことはありませんが、今、富士山ブームとか。知り合も、「生まれて初めて登って来た。」(六十八歳)と自慢げであった。観光目的は平和でいいが、日の丸と富士山の時代があったことも忘れてはならない。偏狭な国粋に利用されることが無いようにと思う。本日の放送から、この素晴らしい富士山に対して、日本の山というだけではなく、世界に開かれた富士山さん意識を持たなければならないと思った。

九月二十六日(土) 心臓病を防ぐ    国際医療福祉大学教授  小 坂 眞 一
 恐ろしい心臓病とその原因、また、その予防について、言葉はやや難しいところがありましたが的確に話していただきました。今朝のお話は、高齢者だけでなく、若い人達にもぜひ聞いてほしい内容でした。
 放送を聞きながら、心臓病予防には三つの具体的実践が必要なことを知りました。まず、食事です。お酒、甘いものの他に、ちょっと注目したのは果物を摂りすぎないことがあります。あまり考えてはいなかったことです。二つ目は、一日七千歩、一週間五万歩の実行です。これも驚きです。現在の私はとてもとても、歩数が及びません。いつも「一寸歩けばいいか。」という気分で歩いています。「足を使って心臓病予防」は実践あるのみですが、かなりこれは大変ですね。少しでも近づけなければ・・・。三つ目は、上半身の筋肉量を増やしたり維持することの大切さです。歳とともに握力や腕の力が急降下していることを感じていましたが、仕方が無いことと思っていました。重い物を持って鍛えることがやはり大切だと思い直しました。さあ明日から、できることは今日から始めよう。でもでも一に七千歩は今の私にはだめだ、こりゃ!

  九月十二日(土) 老い構え2    評論家  樋 口 恵 子
 時代は大きく変わって来ていることを痛感しました。二十年前の退職者の考えや行動と現在各地に起こっている高齢者の生きがい作りなどを比べると隔世の感すら覚えます。高齢者の男性はいつも「だめだめ」と言われてきましたが、最近その男性達が、いろいろな生きがい作りに挑戦し、そこから社会貢献を目指し、NPO法人を立ち上げて活動している姿が目立って来ました。放送の中で紹介されていた「男だけのデイケアーサービス」や「男だけの介護サービス」グループの結成など、次代の移り変わりを強く感じました。今の若い高齢者は、会社等で培ったエネルギーや知恵や能力があり、本当は外に出れば、どんどん活動できる能力を持っているのが現実です。「おひとりさん」「おふたりさん」が集まってお互いに自分の持つ力を発揮できる素晴らしい社会が出現しつつあるように思います。私の通う公民館の高齢者大学でも、生き生きといろいろな役をこなしている男性が大変多くなって来ています。本日の放送の通りだと思いました。さて自分は、今七十を超えているが何かをしている?
 明るく笑顔で活動する男性の増加で、平均寿命もすぐ八十歳を超えてくるのではないでしょうか。

  八月十五日(土) 輝いて生きる    評論家  大 宅 映 子
 今朝の放送を聴きながら、戦後の時期、女性の社会進出や仕事に輝いて生きることの難しさは大変なものだったと思います。当時は女性が仕事を持つことは家庭との両立が当たり前の時代でした。それを前向きな姿勢で乗り切られたことはすごいことだと思います。そこから生まれた人生訓は納得できるものです。第一に優先順位を決めること、第二に自分のモノサシを持つことの二つ。一回きりの人生です。今、最も大切なものをこの二つの人生訓から眺めなおして見ることの必要性を強く感じました。輝いて生きるために、自分を見失うことのない生き方ということでしょうか。今の自分自身のことを精査(?)してみなければなりません。でもでも、いろいろなところに首を突っ込んでいる私です。あれもこれもやりたいことばかりで、自分の能力を超えている状態。輝くどころか、人々や社会の中に埋没している自分を発見します。私にとって今日のお話の実践は至難の業!埋没しながら輝くことは出来ない?

  八月八日(土)放送分  「親の常識 」    評論家  大 宅 映 子
 いやな事件の多発、企業の犯罪・・・個人も会社も“これだけはやっちゃいけない”線を平気で越える社会になった。その一番の大本は“ヒト”の育て方の間違いにあると指摘する。今日は子育てについて、とてもシビアな(切れ味鋭い)論を展開された。「責任は親に決まっている」「製造物責任は当然」「子どもは無垢でも神様でもない」「半人前だ」「強制が必要」「親は理不尽でいい」。これらの言葉は、現代、過保護で、子どもたちを甘やかして育てている家庭・社会そのものへの警鐘を鳴らされたものだと思う。親乃至大人への奮起を促された。ただ、子どもたちは温かいぬくもりのある家庭や社会で育てられるのは当然のこととしてその上でのことだと思う。子育て中の親にも聞いてほしかった内容だ。さて、おじいちゃんは孫とどう向き合う?

  七月二十五日(土) 「8020に尽きる」 医学博士 小 川 靖 彦 先 生
 成人病―脳梗塞、糖尿病、リューマチ、心筋梗塞等と歯の健康(衛生)との繋がりは、ちょっと恐ろしさを感じます。私など、今となって歯の大切さを痛感しているものですが、それでも今朝のお話は、よりその感を強くした次第です。また、「8020」それ自体も大切なことですが、それだけが目的でなく、歯の健康は、健康的な人生を送る上で、欠かすことの出来ない最大のものだと思いました。私自身は、数年前から義歯を入れることになりました。そのとき一番感じたことは、食べ物の味が大きく変わったことです。人生の大きな喜びのひとつである食事、その楽しみも半減です。がっかり。ただ、ちょっと、放送に異論があります。ある医師は私に歯を抜くことを進め一度に2本抜いたのです。それ以後、歯全体がガタガタになったように思っています。医師に相談してもこういうことになることがあるのは残念に思います。医師によって治療方法に不統一なところがあるのではないでしょうか。研修の充実を望む。

  七月一十一日(土)「論語入門」       立命館大学教授  加 地 伸 行 先生
論語について、わたしはほんの二〜三しか知りません。でも以前から、日本人の考え方や平素の行い(道徳)の元になっている思想は、儒教からたくさんの影響を受けているのではないかと思っています。 本日の授業は、儒教思想の根本的なところを大変わかりやすく教えていただきました。これからの残り少なくなって来た人生、心構えや生き方について大きな示唆を与えていただいたように思います。特に、魂魄について目を見開かせていただき、生死観について考えを深めることが出来た大変有意義な時間でした。精神は、子供や縁者の思い出の中に宿り、肉体は、父母の残してくれたものであり、自分の子孫や親戚の人々の中に残っている。すなわち儒教の説く生命の連続、生きることの意味について思考を深める時間となりました。論語は、何千年も続いているアジアの人々の共通の古典として、全ての人々が読んで来た教えとして、今見直される時なのでしょう。ちょっと読んでみるかな面白そうだから。

  六月二十七日(土) 「やめられない心理学」  南九州大学教授  島 井 哲 志 先生             ※背景青色は21年度提出分
「健康で長生き」はすべての人の願いである。日本のように長寿社会になれば、健康は自分の責任との意識改革が必要である。「やめられない心理」はいい習慣にも悪い習慣にもある。食習慣、運動習慣、喫煙習慣等日常生活の中で、いかに良い習慣をつくり健康を目指すのかが問われる時代である。毎日のひげ剃り(休日だから→私の思い)、食後の歯磨き(毎回邪魔→私のこと)、そして毎朝の挨拶などの日常の生活習慣が基本である。ところで私のこと、運動について、いろいろやっても、なかなか長続きしないのが現状だ。これからは気張ることなく、何気なく続けられる良い運動習慣をつくり「やめられない」状態にしなければと思っている。「習慣の力」を信じることが大切だと思う。そして良い習慣を、良いフィードバックによって、次の世代に伝えることが私たちの責任でもある。

  六月十三日(土)  「いい仕事してますね」     古美術鑑定家   中 島 誠 之 助             ※背景青色は21年度提出分 
私たちの心の目を見開かせるための、素晴らしい言葉がぽんぽんと綺羅星のごとく飛び出してきました。
 「いっしんふらんになる」「仕事から逃げない」「手を抜かない」「本物を知る(原点を知る)」「いいものは逃げていく」「見えない勲章(心の勲章)」「その人のメッキ」「見立てが出来ること」「あまり夢中にならない(マニアックにならない)」「捨て目を使う」「心の余白が必要」「行って見て帰るだけでは駄目」「何かを感じることが大切」「ものを見ることが大切」「わからないから心に残る」・・・・ どれも心にしみる言葉です。今日の放送を自分の生活や考えを深めるために役立てていきたいものです。

  十月十八日  「日本人の良識」
                仏教思想家  ひろ さちや 先生
今朝の放送は、とても身近な例を引きながら、わかりやすく話をされていましたが、現代の日本人、とくに高齢者の生き方について、きびしい提言とでも言うべきお話だったと思います。先生のお話の内容は、すべてはっとさせられる言葉ばかりでした。特に「老いの身になった今、ちょっとぐらい損をしたってかまわないという宗教心を持ちたいですね。」私たちが忘れがちになっていることではないでしょうか。私の身の回りの高齢者を見ていると、「気」が走っていて、余裕のない、絶えず先を見て急いでいるような姿をよく見かけます。こうなるのは「損得勘定」で考え動いている面が大きいのではないでしょうか。
 「良識の智恵」として 1損をする智恵 2問題を解決しない智恵 3他人対する無関心の智恵 どれも私たちの常識をゆさぶるもので、大いになるパラドッックス。今朝の放送は、私自身、これからの人生において、たえず、頭から離れない言葉となるのではないかと思っています。

 七月十二日  雑 談 力
     コミュニケーションコンサルタント 奥 脇 洋 子 先 生
雑談から得られるものを、大変わかりやすくお話していただきました。われわれ高齢者にとって、雑談できること、そして、雑談の相手があるということは、人生を豊にし、楽しむ第一歩だと思います。先生の言われる、「雑談のおまけ」は、本当にそのとおりです。サークル等での、いろいろな人とのおしゃべりは精神的に若返る最高の方法のように思います。
 ところで、最近、同窓の仲間で、ある温泉で会合やったのですが、一人は、すごい「雑談力」の持ち主だと思いました。温泉でも観光地でも、食事処でも、すぐに「あんさんどこから来やはりました?」などと老若男女に話しかけ、すぐ打ち解け、その場にあった話題で楽しんでいます。これっていいですね。彼はきっと若い心を持ち続けることでしょう。見習おう。

 「血管と長寿〜若返り血管のつくり方〜」    六月二十八日放送分   東京医科大学教授  高 沢 謙 二 先 生
 おおっこわ!サイレントキラーが狙っている。
私に忍び寄っているかも・・・。検診でいつもひっかかっている。
・ 高脂血症がでている。
・ 糖尿病予備群(軍)といわれている。
・ 運動不足、パソコンに向かうと数時間椅子に座ったままである。最近歩くことが少なくなった。
・ 慢性的寝不足が続く。夜遅くまでぐずぐず起きている。
 さすが「血管年齢」の発案者。「血管の“つくり”方」「知識で防ぐ病気」なんて我々の予想だにしない言葉です。また、「心筋梗塞」と「狭心症」との違いなど、先生のお話は、素人には説得力強烈でした。みなさん納得され、早速実践しようと思われたのではないでしょうか。今日のお話だけで、県の平気寿命が数年延びることでしょう。
 自分の血管は自分で若返らせることが出来るということは、自分の寿命を自分である程度コントロールができることに希望も湧いてきます。

 「その敬語では恥をかく」            六月十四日放送分
              明海大学教授  井 上 史 雄 先 生
 とても面白い放送でした。高齢者といえども相当敬語が乱れている。というか、私など使い方がよくわからないことが多い。今日の放送でも、先生に指摘されて「あ、なるほど、そういえば若い人がこんな使い方をしているなあ」と思うことが多かった。自分のことと相手に対する言葉の混同。動・植物と人間に対する言葉の混同など、いろいろな乱れ現象が出てきている。今日のお話で印象的だったのは、「子どもや若いときは仕方がないが、年齢を重ねるごとに正しい言葉(敬語)遣いができるようになりたいもの」というのがありました。これからは、注意したいものだと思いますが、あまり気にせず平素のままでもいいのではないかとも思っています。
 NHKテレビの字幕について、喋っている人が「ら」抜き言葉であっても、正しくテロップを流している。これはいいことです。ただ、「〜〜してあげる」の使用が間違っていると思われてもそのまま字幕で流していることがある。時代の流れで、容認していく方針なのでしょうか。
正しい敬語は、気持ちいい生活を送るための基本だと思っています。

  一月十二日   学 生 参 加 番 組
 前回とあわせ聞いて、人それなりの山あり谷ありで、それを乗り越えて今があり、それが現在存在する意義であると思います。人それぞれ、本当にいろいろな体験・経験があり、それが現在生かされている根源にあるのでしょう。そのことが、人生の最期を迎えるまでの道筋を示唆してくれるものではないでしょうか。放送の中で「私の生き甲斐は、死の準備」というのがあったように思うのですが、本当に意味深い言葉だと思いました。ただ、私などは、頭の中に考えがぐるぐる回りして、この方のように墓を建立、墓碑銘まで・・・という具体的な行動を通して「準備する」までにはなかなか至らないものです。
 現在健康を頂いているこの私も、それなりに歳を重ねてきました。人生の終末期、私には大したことは出来なくても何か・・・、今日は大いに考えさせられる皆さんの発表でした。

   十二月八日  凛々と生きる  Part U
               姫路市・大覚寺住職 中 西 玄 禮
 「人生の夕暮れに」「美しき人になりたく候」そして「秋艸堂『学規』の内容」。私たちの歩むべき道を示していただいたように思う。人はみな、必ず老い、そして死を迎えるのであるから、嫌われて老い、死して忘れられるより、美しく老いる生き方をして死を迎えたいものである。秋艸堂「学規」四か条を肝に銘じながらも、それに近づく方法(実践方法)をいつも模索していきたいと思っている。
 中西先生がよく使われる「凛々」という言葉。辞書を引いてみた。「寒さが身にしみるさま」「勇ましい様子」「りりしいさま」(広辞苑)と出ている。何か厳しいものが迫ってくる。人生の夕暮れに、楽しくのんびりもいいことだが、自分を見つめて生きる厳しい姿勢を絶えず持ち続けるよう心がけることも大切。私は、坂本冬美の歌が好きで、その中に「凛として」というのがある。大自然の輪廻の中で「私も生きたい、凛として」と歌っている。このあと、聴いてみようと思っている。

  十一月二十四日  長寿の謎を解く  ―賢い食生活に鍵―
               京都大学名誉教授 家 森 幸 男
 今朝の放送は、われわれの健康にとって、きわめて大切なことを明快に指摘いただきました。健康で寿命を全うする食生活について、非常によくわかったように思います。世界の長寿国や国内の長寿県について、豊富な資料と研究を基にしたお話は納得できるものでした。
 第一に塩分を日本人の平均の半分に減らすこと。減塩の奨めで脳溢血ゼロにして寿命を延ばす。ゼロとはすごい。
 第二に、体にいい食品を非常に単純化して話されたのでよくわかりました。ごはんをたべ、野菜をとり、魚を食べ、肉はいためてから、大豆を多くとる・・これで、脳卒中や胃がんの死亡率はゼロ。寿命も確実に延びる。
 もう言う事なしです。あとは実践あるのみ。よく考えてみると、昔から日本の食生活そのものではないかと思いながら聞いていました。
 みなさん、今日より実践!実践!元気で長生きしましょう。

九月二十九日(土)「祖母力A」 ―社会的祖父母力発揮のためにー 
                   評 論 家  樋 口 恵 子
 今日の放送も前回同様楽しく聞きました。そして、孫との関係等いろいろ示唆に富むお話で考えさせられました。何点か上げてみたいと思います。
 一つめは「長いご縁」という表現がおもしろい。そして、車間距離ならぬ人間(じんかん)距離の必要性を話されていました。一方私などのように孫は遠く離れ「じんかん」は遠距離になり疎遠になりがち。これも問題。
 二つめは、長寿社会で祖父も孫と暮らす時間が長くなった。そこで祖父の出番が注目される時代になって来た。さて、おじいちゃんは何ができる?
 三つめは、「孫レス族」、おもしろい表現ながら、これも考えさせられますね。孫のいない祖父母。さてこの余った力を子育てにどう活かすか。
 四つめは、「社会的祖父母力」のこと。地域の中で四世代同居の長所を発揮する中核となって、世代をつなぎ地球を創生していく力となることができるか。
 祖父母力を、少しずつでも様々な角度から社会に役立てたいものです。

九月十五日(土)「なるほど民俗学」 国立歴史民族博物館教授  新 谷 尚 紀
 「敷居をふんではいけない。」「妊婦がトイレの掃除をすると・・・。」「玄関に掲げる寺社のお札や魔除けの蜂の巣」等々、昔から何気なく伝わって来ていることには、それなりの民族学的に意義があるのだなあと驚くことしきりでした。特に「境界」という概念には「うちと外をわける大切な場所であり、人々は神経をそこに集中させた。だから、そこには呪術的な、そして宗教的な装置が集中している・・・。」そうすることによって生活の安全を図って来た、生活の智慧のようなものが伝わって来ましたね。思い出しました。ある地区に「塞の神」があり、昔から周りの人たちに大切に祀られて来たことを聞きました。これって、村の外れにあったものなのでしょう。まさに今日のお話の境界にあたり、外部からの敵や、人々を困らせる悪魔や病気などを防いでいる神なのでしょう。
 こんなことなら、もっとしっかり見てくるなり写真でも撮ればよかった。

九月一日(土)「『徒然草』的生き方」 
                 作家・経営評論家   江 坂  彰
 吉田兼好の考え方や生き方を紹介していただきました。まったく現在に通じるものであり、人間の生き方って、その根本的なところでは、昔も今もそんなに変わらないものだと思いました。
 テキストの「五」の「これからの人生において心掛けること」はたいへんおもしろい考え方だと思いました。
・ 反省のし過ぎは駄目 長所を伸ばす→→実践しよう
・ 古典を読む           →→今からではちょっと無理か
・ 過去の自分を作品として残す   →→何とかやってみよう
・ 老人の愚行や失敗談を聞きたい  →→これはいくらでもあるぞ!
・ 悪いことも一つぐらいは     →→何か悪さをやってやろう!

七月七日(土)「脳と心@―禅の名言」   浜松医科大学名誉教授  高 田 明 和
 朝の放送を聴くことができず、初めてネットで聴きました。音声も明瞭でよく聴き取ることができました。とても便利になりました。
 さて、今日の放送は沢山の名言が出て来て、どれも感動的であり、実生活にもすぐ役立つ名言(夫婦間での取り決めなど)も出て来て、どうまとめていいのか迷ってしまったのが実情です。講師先生の著書の一つ「魂をゆさぶる禅の名言」を読んでみるのが一番のように思いました。
 ただ、「仏教では、私たちの心はあくまでも清らかで、罪の影もとどめない」という言は、私にはとても新鮮な言葉として受け止めました。この心が曇るのは、妄想や煩悩があるからと言う。私たちは、絶えず心を磨く努力をすることが大切で、これは生き方の指針になるものだと思いました。でも煩悩が多すぎます、私には。 「引けば鳴り 引かねば鳴らぬ 鳴子かな」

六月三十日(土)「思い出のメロディー」   学生参加番組  竹田憲司学長の案内
 今朝の歌(音楽)は懐かしい曲ばかりで、一曲目以外は、昔よく歌ったものでした。私自身は、本日紹介された人たちのように、曲にまつわる特別な思い出といったものを持ち合わせていないのが実情です。しかし曲を聴いていると、歌われている歌詞の内容から、いろいろな思いが膨らんでくるものです。懐かしさ温かさを感じるひと時でした。
 また、学長が読まれた、はがきの思い出エピソードがあったことで、歌と一緒に、投稿された人の気持ちやそのときの情景が目に浮かぶようで楽しく聴くことが出来ました。(内容そのものは楽しいことばかりではなかったのですが・・・。)この年齢になってくると、いつのまにか昔の童謡や歌謡曲を口ずさんでいるものですね。いま、ハーモニカサークルに入っているのですが、ハーモニカでもいろいろな曲を吹いてみたくなっています。

六月九日(土)「ちょい太で だいじょうぶ」 
              諏訪中央病院名誉院長  鎌 田   實
 今朝はすべて納得できるお話で、私たちを、食を中心とした身近な生活から、より健康で「ピピンコロリン」に、向かってどうすればいいかを分かりやすく教えて頂きました。順序立てて項目別に話されたので,よし、やってみようと思うことがたくさんありました。
 実際の患者と直接接しておられる医師として、また、沖縄や信州の地域医療や食改善に取り組んでこられた医者として、お話のあった具体例や統計の数値から,納得しながら沢山のことを学ばせてもらいました。とてもいい時間だったと思います。テキストの第五番目「自分の中にある『復活力』を信じること」
この言葉もいいですね。
 気の早いわたしのこと、早速、ちょい太の計算を電卓で・・・ちょいコレステをみるために前の検診結果を引っ張りだし・・・スーパーで野菜と黒酢を買って来ました・・・これで二十年は大丈夫????

一六月十六日(土)「しあわせの雑学」 後半生をしあわせに生きるために
            毎日新聞社専門編集委員   近 藤 勝 重
 今日のお話は,初めから終まで、すべて、興味深くおもしろく聞きました。何から書けばいいのか分からなくなりますが、
・ 自立の必要性。二本足であることの大切さ。歩けることに感謝して・・
・ 九割のDNAがよくわかっていない。いろいろな病気でも直る可能性があること。
・ 「かきくけこ」の大切さ。風邪引くな 気をやむな 食いいじをはるな 検査を受けよ ころばないこと(歩け)・・・なるほどなるほど。
・ 先生の考えた生きるための三つの力。 何でも面白がれる 見方を切り替えられる 自然を感じられる・・・なるほどなるほど・・・でもちょっと「見方を切り替える」これって難しいですよね。
・ 「寒いねと話しかければ 寒いねと 応える人のあたたかさ」
私も後半生を「人の心を一ミリでも動かすことができる」生き方をしたいものです

一月二十七日(土) 「笑顔は健康の源」 元気で長生きこれが一番!
          スマイリズム総合研究所所長   近 藤 友 二
 放大一月号巻頭言に、井戸知事が「元気ひょうごへ飛躍を」と題して、兵庫の発展を願う年頭の挨拶を載せておられる。我々も、当然その「元気ひょうご」の実現に一役買わなければならない。たとえ高齢者に厳しい時代であったとしても。
 今朝の放送は、とてもわかりやすく、すうっとそのまま受け入れられる内容でした。すぐにでも、誰にでも実践できるものだと思います。早速、皆さん、「大笑いと笑顔と挨拶」をばらまこうではありませんか。まわりをイキイキさせ、自分の生き方をポジティブにし、健康にも良いとは・・・もとでは要らない、これ実践あるのみ。
 職場の周りの行政の人たちは、いつもあまり挨拶をしてくれない(これが駄目!駄目!自ら自分から!)。十二月「若者に思う」に竹田学長が「隗より始めよ」と書いておられる。身近ななところから自ら実践しよう。

十一月四日(土) 「老楽力」 
         御茶の水女子大学名誉教授・文学博士 外山滋比古
本日放送内容のキーワード。(テキストより)
一、「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」 二、招かれたら断るな、人を招け、恋をせよ」 三、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」 四、老いて学べばすなわち死して朽ちず」 五、「人間はほっておくと、年をとるにつれて、人格が下落、劣化するおそれがある」 六、老年を楽しむ力「老楽力」をつけよう
「若いときはわからなかったが、年をとるとだんだん醜いところが現れる・・・それに気づかず年をとっては人生失敗である」「それをひっくり返すのが老楽力である。心懸ければ、老年は青年よりも生き甲斐のある、楽しい時期になるはずである。」 人格の下落・劣化による人生失敗だけは避けたいものです。キーワードを参考に生き甲斐を見つけていきたいです。

十月十四日  「高齢者の主張 学生参加番組」   『第二回中央スクーリングより』
 三人とも素晴らしい発表で感動しました。それぞれ、長い人生経験の中で様々な問題や苦難、そして病気との戦いを乗り越えて、そして今は生き生きと人生を歩んでおられる姿に感動を覚えました。又、わたしは、発表の内容とともに次のことに感心させられました。
 一 発表が、すらすらとほとんど詰まることなく話されていたこと。そしてその声に張りがあり、堂々としていたことです。このことは、現在間違いなく明るく生き生きと前向きに生活され  ている証だと思うのです。
 二 右のこととも関連するのですが、文章が構成も含めて非常によく書かれていることに感心しました。何回も推敲されたのでしょうが、聴く側にとって分かりやすい文章になっていたよう  に思います。
 自分の思いを文章にするのは大変難しものです。ましてそれを人にいかに聞いてもらうかとなるとなおさらです。今日はいい文章を聞かせてもらい勉強になりました。私もいい文章が書けるように努力したいと思います。

九月十六日 「子どもの世話にならずに死ぬ方法」
                作家・陶芸家  俵  萌 子 先生
 「人は生きかたは選べるけれど、死にかたは選べません。でも、出来れば未来を楽観していたいのが人間の常です」私たちは、年齢を重ねるにつれて、その楽観が危うくなっていきます。主として健康のこと、子どもや家族のことがそれで、残り時間の短くなっていく中「人はいきかたを・・・」の言葉がよぎり楽観の夢から現実に直面していきます。
 本日の俵先生の講義は、生々しい現実を語っておられ、私に迫るものがありました。特に、有料老人ホームの役割が当人やまわりの家族に与える影響(好影響も含め)など考えさせられるものが多々ありました。
 また、海外の福祉施設の様子なども紹介され、これだけ文明の発達した日本でも、人生の終末を迎える老人の安らかなくらしを保障するにはまだまだ遅れている現実を感じました。
 「子どもに迷惑をかけずに・・・」そして、安らかな終末を迎えられれば最高なんでしょうが・・・。

九月二日  「不良老年のすすめ」      作  家   下 重 暁 子 先生
 高齢者に対するこれからの人生等についてのお話は、いつも私たちは自由な気分にさせられます。極言すれば「気楽な人生を」といった感じです。
 今朝の放送も楽しく聞くことができました。
1 歳を取るとは個性的になるということ。うん、その通り。いろいろなしがらみ、束縛からの解放は個性的になるということでしょう。
2 肩書きにこだわることもない。うん、その通り。
3 出来るだけ外に出ること。うん、賛成。いろいろなサークルなどに所属するのもいいですね。人目を気にする緊張感がいいもの。
4 反骨精神を持とう。大賛成。新聞やブログに投稿するのもいい。
5 オシャレで格好良く。う〜ん、これって、あまり格好をかまわないタイプには辛い?でも、これからは努めてそうしましょう。
最後に、「全てが減っていく人生の中で、本当にやらなければならない仕事と、やりたいことをやらざるを得ないのです。」考えさせられました。

八月二十六日 「ぼけになりやすい人 なりにくい人」    浴風会病院院長   大 友 英 一 先生
 
我々高齢者にとっては、大変興味のある演題であり、話の内容もまたそうでした。特に、脳の老化を防ぎ、老化を遅くすることが、認知症の予防を可能にするという話は、なるほどと思いました。そして脳の働きを図式的に、インプット(見る、聞く感ずる等)とアウトプット(対応する、表現する)に分け、このアウトプットの重要性を話されました。具体的には、表現に頭を使う筆まめ(日記や手紙)や気配りが脳の活性化につながるということでした。
 ここで、先生は政治家や指揮者、画家や彫刻家などの例をあげられたように思いますが、私はその時、ふと料理もそうではないかと考えました。料理も確かに表現活動の一つのように思います。脳の活性化に効果を発揮するのではないでしょうか。男性クッキングなど結構流行っています。私も時々料理を楽しんでしますが認知症予防のためにも続けたいと思います。それにもまして、この放送大学の感想を書くことが何よりも効果抜群ではないでしょうか。でも私のようにパソコンで書いているのでは駄目ですかね。


八月十二日「新生き方上手2」 聖路加国際病院名誉委員長 日野原重明先生
訥々と話される日野原先生のお話を聞きながらいろいろ考えました。
・ 耐えることの意味。長い人生の中には、強い苦しみや哀しみに時として出会うものだ。それに耐えるというのは本当につらいものだが、じっと我慢することによって他人の気持がわかる人に育ち、そして、その人の感性をより育てる面がある。
・ 長生きをする意味。不本意ながら過去には失敗や過ち、迷惑をかけたことなどを、長生きして償う時間にする。ただ、自分の幸せのためだけに長生きするのではなく、過去の自分の足りなかったことを長生きによって償う時間と考える。
・ 自由な時間が持てる意味。老人には比較的自由な時間が与えられている。そして、集中力を持って事に当たることができる恩典が与えられている。若い人より粘り強く集中できる。ITや科学の力を活用し、この持ち時間を、目標を掲げて、いろいろな人との交流をも広めながら、大いに活用することが新しい生き方である。


七月十五日放送  「柿食う子規の俳句作法」   俳人  坪内稔典先生
 「夢中になる」お話、おもしろく楽しく聞きました。元気の出る話でしたね。子規との出会いのきっかけがパチンコ、その後、子規に夢中なりその研究を楽しく出来たのも、パチンコの楽しみに通じるものがあった・・・おもしろいですね。子規は、野球をはじめ何事にも夢中になった人のようですね。
 まず、楽しくなければ夢中になれないものです。甘いものが好きの子規に倣って甘納豆を毎日食べ、続いて、柿に夢中と・・・今は全国のカバをたずねて歩くこと、これも夢中になっておられるとか。話を聞きながら、子規の名前しか知らない私ですが、子規は重い病気でも、大変明るい人だったように思います。「墨汁一滴」を表した時期は、排泄もままならない状態、でも、庭の四季を楽しみながら、俳句や短歌を作り続け、人とも文壇のことを語り合う、まさに「病気を楽しむ」人だったのですね。この「病気を楽しむ」その生き方、誰にでも出来ないすごいことですね。健康な人が趣味を楽しむように、病気を楽しみながら生きた子規。本日の放送を聞いて、我々の世界が大きく広がるように感じました。「病床六尺」ぐらいは読んでみたいです。 
       ヘチマ咲いて 痰のつまりし 仏かな


七月一日  「隠居学ーおもしろくてたまらないー」    社会学者・評論家 加藤秀俊先生
 本日の放送、楽しく聴きました。読書の楽しみをわかりやすく話していただきました。読書は友人を作ること。そうだと思いましたね。一冊本を読むと、作者のことが本当は何も分かってなくても、その人と親しくなったような気分になるものです。いい本だとまたこの人の本を読んでみようという気分にもなります。
 また、「読書は旅」というのも分かるような気がします。別に紀行文でなくても、小説でも、その場所に行っているような気持になり、時には地図で探して見たりするものです。私はこのことで、最近ちょっとやっていることがあります。それは、司馬遼太郎の「街道をゆく」を全巻持っているのですが、旅行するときそこに当てはまる街道がないか調べます。あれば、その部分を読んでさらには本も持って行くことにしています。今度東京に行く用があるのですが、今「週刊朝日」に連載中の、「司馬遼太郎の世界『土方歳三血風録』」に出ている、近藤・土方のふるさと日野市や板橋区の近藤の墓など回ってこようと思っています。
 読書と旅ですね。